考えたこと2

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大学の丸投げ
日経ビジネスで大学の特集をやっていた。
その中に、大学が「本業」を業者に丸投げしているという記事があった。
本業とは「教育」のことである。
「死にゆく大学 空洞化の衝撃」というセンセーショナルな表題もついていた。

教育の中には入試問題の作成もあるし、授業も含まれる。
本業中の本業だと書かれているのが、入試の作問。
どのような学生を取りたいのか、という大学の意思表示としての入試という位置づけだ。
記事にはこう書かれている。

「とはいえ、入試や学部の新設は大学がどんな人材を取り、どう育てたいかを性格づける大学のコア業務とも言える内容である。文科省の幹部も、入試問題の作成を外部委託する大学が存在することを認める。大学の空洞化が進んでいる象徴と受け止められても仕方がない。」

この記事を書いた人たちは、今の大学は良い学生を取るために入試を作り、入った学生を育てるためにちゃんと教育している、という前提に立っている。
上位の大学はそうかもしれないが、中位以下の大学ではもうそんなことはない。

どこで見分けるかというと、入学生の構成だ。
推薦入試、AO入試で半分近くの入学生を取っていれば、そんな前提はもう当てはまらない。
まあ、推薦入試の難易度やどれだけマジメにAO入試に取り組んでいるかということはあるが…。
ほとんどの場合、そういう大学では入学生の二極化を招いても、入学者数を確保するために入試をやっている。

一年間に何度の入試をやっているか、というのも判断材料になる。
当然のことだが、回数が増えるほど人数集めに徹しているということだ。
それが高校の進路指導でもわからないほど入試を多様化させ、早期の推薦やAO入試が高校生の受験勉強の機会を奪っているというのが、大まかに見た実情だと思う。

多くの大手私学が、系列の高校を増やしているのも、理由は同じ。
入学生の確保というのが第一。
世界の上位校の趨勢は、何とかして良い学生を取ろうということだが、残念ながら日本の中位校以下はそういう努力をするよりも、高校生を囲い込むことで対応している。

90年代に規制緩和されて委託が増えたらしい。
ぼくが大学に転職したのは2004年だったが、当たり前にやっていたと思う。
英語は教員が作っていたが、その他の試験は委託だったはず。
そんなの当たり前と思っていた。
教員を見渡しても、入試を作れそうな人が見当たらない。
メインの科目は国語と英語。
国語といっても現代文だけだった。古文や漢文はない。
現代国語の専門家がいないから、委託するのが当たり前だろう。

入試業務がコア業務という大学は、ちゃんと入試が成立している大学だ。
それ以外の大学では、入学者を集めるという意味の方が大きい。
Fランク大という位置づけの大学なら、入試期間があってその間に来ればいつでも入試をやってくれる大学もある。
人を集めるために、入試をやるということだから、作問は正確を期せばいいのだ。

問題の内容よりも時期とか回数、科目数などが重要になる。
大学として恥ずかしくない問題、という部分は担保する。

上位の大学にとって、受験生は選別するものだが、中位以下の大学にとっては受験生はお客様なのだ。
一人入れば、年間100万円として400万円が入ってくる。
だから、至上命題は人数の確保。
ライバル校や上位校と日が重ならないようにするとか、入試日を複数にするとか、工夫をする。
科目が少ないほうが受験生は喜ぶから、減らす。
そんなことをずっと続けてきて、入試が多様化した。

中位以下の大学の入試の担当は大変だ。
昔は年に1回の入試だったが、今は多いところでは6回も7回もある。
それを全部やろうと思ったら、問題作成を委託するしかないのだ。

それが実情。
それが高校の教育をどれだけ歪めているか、関係者はわかっているんだと思う。
それでもやっているのは、経営が立ちいかなくなるからだろう。

その部分にメスを入れないと、良くならないと思う。

長くなったので、入試以外の授業のことは別途書く。

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