考えたこと2

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OJTと情報化
1979年、ぼくが入社したころはまだまだ情報化が進んでいなかった。
通信手段は電話だけ。FAXもない。
まだコピーは高級品で、青焼き(ジアゾ式のコピー)が一般的だったし、海外との連絡はテレックスだった。
要するに、離れたところと情報共有するのは大変な時代。

もちろん書類は手書きだったし、ワープロなどというものは姿も形もなかった。
青焼きのコピーなど、今の若い人たちは知らないだろう。
原紙は薄手の紙で、それに手書きで書いて原稿を作り、原稿をコピー用紙に重ねて感光、定着器に入れる。
そうすると、原紙が戻ってきて、コピーが一枚作れる。
青い文字になるので、青焼きだ。
当時はたくさんの枚数コピーしようと思うと、その回数だけ原紙を通さないといけなかったから、冊子のようなものを何部も作ろうとすると大変だった。
だから、青焼き専門のパートさんがいて、一日中やっていた。

ちょうどゼロックスの特許が切れる直前。
会社に入って数年でカーボンコピーの特許が切れ、ゼロックス以外の会社からどんどんコピー機が出てきて競争で価格が下がり、青焼きはなくなっていった。
そんな時代だった。

ある意味、今から思うとムダがたくさんあった。
だから、待ち時間みたいなものが多くて、のんびりしていたような気がする。
2000年代からみると、そう見えると思う。

だから、入ってきた人を教育する時間もあった。
当時、OJT(On the Job Training)という言葉がトレーニングに関して使われていた。
仕事をしながらトレーニングということだ。
お手本はたくさんあった。
主な通信手段は電話だから、何でも電話でやる。
それを横で聞いているだけで、訓練になったのだと思う。

結局、効率化が進んでいなかったから、隙間の時間が多かったのだ。
だから、無駄話をする時間もあった。
電話の話を横で聞いていたりして、情報共有できていたから、話もすぐ通る。
周辺知識は知らぬ間につけていたのだ。

それがだんだんとできなくなってきた。
ぼくが辞めた2004年はそうなりかけていた時期だろう。

メールで情報共有できて、一人ひとりに連絡が行く。
FAXにメモ書きを書いて回していたころとエライ違いだ。
そのために、送られた情報に付加される他の人の意見が見えなくなった。
写で送られたメールは読まずに置いておくことができる。
忙しくなって、読まずにためていくと、だんだんと他人の仕事がわからなくなる。
それでも自分の仕事は進む。

だいたい、仕事の意味などという大層なものは、面と向かって話して聞かせるものではないと思う。
面と向かって「仕事の意味」を話すとなると、紋切り型のものになって、聞く方も構えるし身につくものも身につかない。
そういうことは、仕事に関して話している時に、ポロッと入ったりするものだ。
聞いている方が、ああそういうことなんかと理解する、そういうプロセスを経て身につくものだと思う。

そんなわけで、高度に情報共有が進み、IT化で効率が上がり、その分仕事が増えて縦割りになった職場ではOJTで伝えられるものなど知れているのだろう。
インフォーマルな世間話とか、茶飲み話、残業の合間のバカ話などが大事だったのだ。
でも、時代はそんなことは考えず、進んでいった。

ぼくが会社を辞めた2004年頃はそういう時代だった。
そこから先、どうなっていったかは知らない。
でも、そういう事態を憂慮して打破しないといけない、というような記事はたくさんあった。

Off the Job Training(講義型のトレーニング)を増やすのはあの当時やった。
やらないより、やった方がマシ、ということだ。
どれだけ効果があったのか…。
問題意識がないところに、いくら詰め込んでも残らない。
ぼくも講師をやったが、余裕を持って話せなかったから、きっとあまり残らなかっただろう。

やっぱり、昔のちょっと緩い職場で、息抜きの時間にしていた先輩の話などのOJTがよかったなあ。


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