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2017.02.06 Monday
OJTと情報化
1979年、ぼくが入社したころはまだまだ情報化が進んでいなかった。
通信手段は電話だけ。FAXもない。 まだコピーは高級品で、青焼き(ジアゾ式のコピー)が一般的だったし、海外との連絡はテレックスだった。 要するに、離れたところと情報共有するのは大変な時代。 もちろん書類は手書きだったし、ワープロなどというものは姿も形もなかった。 青焼きのコピーなど、今の若い人たちは知らないだろう。 原紙は薄手の紙で、それに手書きで書いて原稿を作り、原稿をコピー用紙に重ねて感光、定着器に入れる。 そうすると、原紙が戻ってきて、コピーが一枚作れる。 青い文字になるので、青焼きだ。 当時はたくさんの枚数コピーしようと思うと、その回数だけ原紙を通さないといけなかったから、冊子のようなものを何部も作ろうとすると大変だった。 だから、青焼き専門のパートさんがいて、一日中やっていた。 ちょうどゼロックスの特許が切れる直前。 会社に入って数年でカーボンコピーの特許が切れ、ゼロックス以外の会社からどんどんコピー機が出てきて競争で価格が下がり、青焼きはなくなっていった。 そんな時代だった。 ある意味、今から思うとムダがたくさんあった。 だから、待ち時間みたいなものが多くて、のんびりしていたような気がする。 2000年代からみると、そう見えると思う。 だから、入ってきた人を教育する時間もあった。 当時、OJT(On the Job Training)という言葉がトレーニングに関して使われていた。 仕事をしながらトレーニングということだ。 お手本はたくさんあった。 主な通信手段は電話だから、何でも電話でやる。 それを横で聞いているだけで、訓練になったのだと思う。 結局、効率化が進んでいなかったから、隙間の時間が多かったのだ。 だから、無駄話をする時間もあった。 電話の話を横で聞いていたりして、情報共有できていたから、話もすぐ通る。 周辺知識は知らぬ間につけていたのだ。 それがだんだんとできなくなってきた。 ぼくが辞めた2004年はそうなりかけていた時期だろう。 メールで情報共有できて、一人ひとりに連絡が行く。 FAXにメモ書きを書いて回していたころとエライ違いだ。 そのために、送られた情報に付加される他の人の意見が見えなくなった。 写で送られたメールは読まずに置いておくことができる。 忙しくなって、読まずにためていくと、だんだんと他人の仕事がわからなくなる。 それでも自分の仕事は進む。 だいたい、仕事の意味などという大層なものは、面と向かって話して聞かせるものではないと思う。 面と向かって「仕事の意味」を話すとなると、紋切り型のものになって、聞く方も構えるし身につくものも身につかない。 そういうことは、仕事に関して話している時に、ポロッと入ったりするものだ。 聞いている方が、ああそういうことなんかと理解する、そういうプロセスを経て身につくものだと思う。 そんなわけで、高度に情報共有が進み、IT化で効率が上がり、その分仕事が増えて縦割りになった職場ではOJTで伝えられるものなど知れているのだろう。 インフォーマルな世間話とか、茶飲み話、残業の合間のバカ話などが大事だったのだ。 でも、時代はそんなことは考えず、進んでいった。 ぼくが会社を辞めた2004年頃はそういう時代だった。 そこから先、どうなっていったかは知らない。 でも、そういう事態を憂慮して打破しないといけない、というような記事はたくさんあった。 Off the Job Training(講義型のトレーニング)を増やすのはあの当時やった。 やらないより、やった方がマシ、ということだ。 どれだけ効果があったのか…。 問題意識がないところに、いくら詰め込んでも残らない。 ぼくも講師をやったが、余裕を持って話せなかったから、きっとあまり残らなかっただろう。 やっぱり、昔のちょっと緩い職場で、息抜きの時間にしていた先輩の話などのOJTがよかったなあ。 |
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