考えたこと2

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アクティブラーニング
今の文科省の教育方針は「アクティブラーニング」だ。
大学から小学校まで、アクティブラーニングをどうするかという声が現場では上がっているという。
これでは「ゆとり」の時と同じになるのではないか。

ゆとり教育の推進者は、ゆとり教育そのものが悪かったのではなく、そのやり方が悪かったのだと反省したらしい。
総合的学習をちゃんとできる先生が少なかったということだ。
そういう意味では先生に対する指導の失敗だったということになる。
それはそうかもしれない。
結局ゆとり教育が失敗したのは、ゆとり教育の良さを語るだけで現場の教師を教育することをせず、やり方だけ伝え、あとは現場に丸投げしたことが原因だろう。

アクティブラーニングもまたその二の舞いになる。
ただただ能動的に学習したらいいというものではない。
予備知識を揃えてこそ、いろんな考えが出てくる。
それをしないと、結局は一部の真面目な生徒が能動的に引っ張っていってくれるだけで、あとの生徒は何の勉強にもならない。
それはすでにアクティブラーニングを取り入れた一部の大学で起こっていることだ。

前に「Fランク化する大学」という本を読んだ。
その中にはこう書かれていた。

「大学で講義を行ったことのある経験者として言わせてもらえば、知識がないままで学生が議論をしても、ほとんど何も出てこない。学生がもとから持っている少ない知識や感覚だけで議論をし、抽象的な空論に終始することになってしまう。
 ちなみに、この講義を受けていた学生に感想を聞いてみたところ「役に立っているとは思わない。だけど、友だちと話してそれで終わりだから、ラクに単位が取れていい」そうである。」

文科省の狙いはEテレでやっていた「白熱教室」かもしれないが、あれは教える側にも、教えられる側にもそれなりのスキルや知識があるからこそだ。
それを形だけ真似して、やろうとするのが間違い。

この本の著者が言っているように、4回の授業で1回がディスカッション、残り3回はそれに関する基礎学習というやり方など、考えるべきだ。

文科省は教育を担当しているのだが、教育者の教育は全くできていないと思う。
教員養成の課程はずっと変わらない。
大学のセンセイの要件も、いい加減なことがたくさん行われているが、もっと口をだすべきだ。

それでいて、学習指導要領という教える内容や教え方は、今回のアクティブラーニングのようにコロコロ変える。
それらを変えたら、当然教職課程も変えるべきなのに、全く変わらない。
理系の科目が入試にない学科でも、教員養成課程を持っている。
それで「理科離れ」とはオカシイと思わないのだろうか。
全く理系の素養のない先生ばかりで、どうして理科的な考えが教育できるのだろう。

予備知識があるからこそ、ディスカッションで化学変化が起こる。

文科省の役人や教育学者こそ、アクティブラーニングしないといけないのではないか…。

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