考えたこと2

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クルマの価値
若いころ、クルマというものは、すごく思い入れの強いモノだった。
エンジン形式や馬力、サスペンション形式、駆動方式などの仕様にこだわったり、その車種がモータースポーツで強かったり・・・というようなこだわりがあった。

もっと下世話なところでは、このクルマは女の子にモテるとか、そんな思いもあった。
むかし、深夜放送で、山下達郎が竹内まりやをプレリュードに乗せて、首都高速を走りながら口説いた・・という話を聞いたことがある。

60年代から80年代の若者は、クルマというと、そんなこだわりがあったと思う。

90年代以降、それは変わってきたのではないか。
要は、動いて、運ぶ、という本来の目的さえ満たせばよい、という風になってきたと思う。

クルマの性能がよくなって、どんなクルマを買っても、本来の目的は充分に満たすし、故障もしないという状況になったという事がある。
もちろん、道路が整備されたこともある。
レンタカーが借りやすくなった事もあるかもしれない。

でも、それだけではないと思う。
クルマというモノのカリスマ性がなくなってきているのだ。
小学校の頃、親戚のおじさんが車を買って、祖母の家に乗ってきたときには、運転席に座らせてもらって、すごくうれしかった。

親の世代がクルマを持っているのがあたりまえの世代になって、生まれたときからクルマに乗っていた人に関しては「クルマを持つ」ということに対する思い入れが減ったんだと思う。
さらに、クルマよりももっと欲しいものがでてきた。

携帯電話、その電話代、パソコン、海外旅行、各種ブランド品・・・など。

既にアメリカでは「欲しいものリスト」の順位で、中古車の方が新車より順位が高いらしい。

こんな風にして、モノの価値は変わっていくのだろう。
いつまで、クルマが日本の産業を引っぱっていく、という時代が続くのだろうか。

移動すること(動くこと)は、動物の本能だし、それは人間の本能でもある。
だから、クルマというモノは、なくてはならないモノであることは事実だけれど。

| | 考えたこと | 21:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
ならんだこと
中学校の時に、笑福亭仁鶴が出てきて、関西地方では一世を風靡した。

「どんなんかナー」に代表されるような、流行りのギャグもあった。

中之島のSABホールでやっていた、ヤングOh!Oh! という番組に仁鶴が出ていて、中学2年の時に、友達がハガキで中継録画の席が当たり、一緒に行ったのを思い出す。
朝の10時から並んで、昼の2時頃にようやく整理券もらった。それでもだいぶ後ろの方だったが・・。
ビルのまわりを一周以上行列がならんでいたと思う。

たぶん、11月か12月だった。寒かった。
昼も食べず、よくならんだと思う。

そういえば、その年に万博があった。(今は大阪万博と言わないと、ダメなのかな?)
千里に何度か行ったが、あれもよくならんだ。
何かを見ようとすると、2時間、3時間、長ければ4時間、もっとかな・・よくならんだと思う。

僕は結局ならぶのがイヤで、アメリカ館の「月の石」は見なかったが、あの頃は暑いさなかに、数時間ならんで見た人もたくさんいたハズ。
それでも、とにかくよくならんだことは覚えている。

あの時に、初めてフローズン・コーラを食べた。それをやたらよく覚えている。
生まれて初めてのフローズン・コーラはすごく冷たくて、おいしかった。

それ以降は、それほど長時間ならんだ記憶がない。

遊園地はあまり行かないし、長時間ならんでまで、ということは避けてきた。

そういえば、子どもが小さい頃、新製品のおもちゃを買うために、ダイエーの前にならんだことはあったか。
おー、大阪のポケモンセンターで、ならんだこともあった!

子どものためにはならべても、自分のためにならぼうとすることはない・・。

そんな歳になったと思う。


| | 考えたこと | 01:01 | comments(0) | trackbacks(0) |