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2006.01.28 Saturday
クルマの価値
若いころ、クルマというものは、すごく思い入れの強いモノだった。
エンジン形式や馬力、サスペンション形式、駆動方式などの仕様にこだわったり、その車種がモータースポーツで強かったり・・・というようなこだわりがあった。 もっと下世話なところでは、このクルマは女の子にモテるとか、そんな思いもあった。 むかし、深夜放送で、山下達郎が竹内まりやをプレリュードに乗せて、首都高速を走りながら口説いた・・という話を聞いたことがある。 60年代から80年代の若者は、クルマというと、そんなこだわりがあったと思う。 90年代以降、それは変わってきたのではないか。 要は、動いて、運ぶ、という本来の目的さえ満たせばよい、という風になってきたと思う。 クルマの性能がよくなって、どんなクルマを買っても、本来の目的は充分に満たすし、故障もしないという状況になったという事がある。 もちろん、道路が整備されたこともある。 レンタカーが借りやすくなった事もあるかもしれない。 でも、それだけではないと思う。 クルマというモノのカリスマ性がなくなってきているのだ。 小学校の頃、親戚のおじさんが車を買って、祖母の家に乗ってきたときには、運転席に座らせてもらって、すごくうれしかった。 親の世代がクルマを持っているのがあたりまえの世代になって、生まれたときからクルマに乗っていた人に関しては「クルマを持つ」ということに対する思い入れが減ったんだと思う。 さらに、クルマよりももっと欲しいものがでてきた。 携帯電話、その電話代、パソコン、海外旅行、各種ブランド品・・・など。 既にアメリカでは「欲しいものリスト」の順位で、中古車の方が新車より順位が高いらしい。 こんな風にして、モノの価値は変わっていくのだろう。 いつまで、クルマが日本の産業を引っぱっていく、という時代が続くのだろうか。 移動すること(動くこと)は、動物の本能だし、それは人間の本能でもある。 だから、クルマというモノは、なくてはならないモノであることは事実だけれど。 |
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