考えたこと2

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弘田三枝子 その2
今日CDが届いたので、さっそく聴いてみた。

My Tapestryという2006年の録音。
60歳に近いとは思えないのは、姿かたちだけではなかった。

歌声はもっと若い。
ヴァケイションの時のようにパンチのある唄ではないが、声量も十分。
あの、「あいうえお」が「はひふへほ」になる歌い方が時々出てくる。
感激した。

このアルバムはカバーアルバム。

松田聖子の「Sweet Memories」、竹内まりやの「駅」、サザンの「いとしのエリー」、山下達郎の「クリスマス・イブ」、ミーシャの「Everything」などが入っている。
いとしのエリーは弘田三枝子の歌になっている。
Everythingのスキャットは圧巻だ。

でも、セルフカバーの「渚のうわさ」「砂に消えた涙」の2曲がいい。

「渚のうわさ」では、シャウトする唄で昔の弘田三枝子を彷彿とさせる。
間奏のギターソロとピアノのソロが終わって、「あなたのいない砂山…」と歌が始まる。
こんな唄があるんやなあ…。

「砂に消えた涙」はスローテンポのバラードとして歌われる。
ささやくような歌声で、青い月の光をあびながら…と唄う。
この歌は最高だ。

「歌がうまい」とは、こういう人の事をいうのだ。

本当に歌がうまい。

ホントにホントにうまいと思う。


| | 音楽 | 23:40 | comments(3) | trackbacks(0) |
弘田三枝子
以前、「砂に消えた涙」で弘田三枝子の事を書いたが、この人はすごい人だ。

wikipediaによると…、

「1961年に東芝音楽工業から、「子供ぢゃないの」(ヘレン・シャピーロのカバー)でデビュー、14歳。翌年には各社競作で出された「ヴァケィション」(コニー・フランシスのカバー)が大ヒットを記録する。1964年10月に東芝音楽工業を退社し、日本コロムビアへ移籍する。

1965年7月には、日本人歌手として初めて、アメリカの「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に出場。カーメン・マクレエ、フランク・シナトラ、クインシー・ジョーンズ、カウント・ベイシーオーケストラ、スタン・ゲッツ、ジョン・コルトレーン、ウェス・モンゴメリー、デューク・エリントンなど、当時のトップクラスのジャズミュージッシャンがは勢ぞろいした中、ビリー・テイラートリオをバックに歌い、3日目のトリという大役を務めた。一方1968年、自身初のR&Bのライブをサンケイホールにて開く。ジャズ、ポップスに続きR&Bという新たなジャンルをものにした。」

とのこと。

自らの不勉強を恥じる。
1965年というと、東京オリンピックの次の年。
その年にニューポート・ジャズ・フェスティバルに出て、トリを務めたのだ。

1961年に14歳ということは、今は62歳。
とても62歳とは思えない写真だが、かなり整形しているらしい。

ジャズのアルバムも出している。

あの頃の日本人は、海外に行くというだけですごい事だったと思うが、その時代にアメリカに行って、トリで歌を唄っているのだ。

すごい度胸だなあと思う。

思わず、アルバムを買ってしまった。

美空ひばりもうまいと思うが、弘田三枝子も相当なものではないか。

もう一度、ライブを見てみたい。


| | 考えたこと | 00:44 | comments(0) | trackbacks(0) |