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2009.06.13 Saturday
休み時間
小学校の頃は、毎日休み時間を楽しみに行っていた。
ボール遊びをするのだ。 ドッジボールだったり、手打ち野球だったり、天町(てんちょう)だったり、ボールをぶつけられた人が鬼になるやつ(何というのか忘れた)だったりした。 天町というのは、テニスのようにコートを地面に書いて、ドッジボールを手で打って、自分の陣地でワンバウンドさせて、相手の陣地に入れるというゲームの総称。 二面のコートの場合は長方形を二つに割って書き、四面の場合は大きな正方形を均等に四つの正方形に分けるという按配。 もちろん、打ち返せなければ負けになる。 天が負ければ、町と入れ替わり、町で負ければ退場する。 代わりに並んで待っている人が入る。 そんな遊びだった。 そんなことを毎時間の休みでもやっていたのだから、えらいものだ。 たしか、45分授業で休みが10分だったと思う。 昭和37年から43年の6年間。 何時から何時までが1時間目だったか忘れたが、午前中に4時間目までやった。 昼休みは給食も入れて、1時間あったような気がする。 早く食べ終わると、それだけ長く遊べるので、給食を早く食べた。 早く食べた人から、順に遊びに出られるのだ。(給食係は別だったか…?) とにかく休み時間は外で遊ぶものだった。 今もてっきりそうだと思っていた。 でも、今は違うらしい。 ウチの子供に聞くと、昼休みは一斉にとり、早く食べても外に出られないとのこと。 何でやねん?と言ってもムダ。とにかく、そうなっている。 ようやくわかったのは、掃除を昼休みにするということ。 だから、給食、掃除、そして昼休みという事になっている。 何で掃除を昼休みにするのか? ぼくらの頃は放課後に掃除と決まったものだった。 掃除当番がやる。 なんだか、机を動かして掃き掃除をやった記憶がある。 高学年になると、教室の他に割り当てがあった。 だから、当番の数が増える。 日代わりだったかな。飼育室や庭や、校門のところや…、そんな分け方だったかもしれない。 ようやく謎が解けたのは、掃除当番という概念がないということだった。 要するに、みんなでやるのだ。 毎日、みんなで(場所は変わるかもしれないが)掃除をする。 みんなの教室はみんなできれいにしよう、ということらしい。 帰る時間を一緒にしたかったという事だろうか。 それとも、掃除当番がネックになったのだろうか。 どうして当番を決めてやらないのだろうか。 自分がやっていたやり方が正しい、というわけではないが、休み時間は休む時間で掃除する時間ではないはずだ。 昼休みの運動場で学んだことは多かったような気がする。 今も同じだろうが…。 一体、ゆとりとは何だったのだろうか??? |
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