考えたこと2

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関西の笑い
1989年、吉本興行が新喜劇をやめようというキャンペーンをはった時期があった。
そのころ、会社のメンバーで何度か花月に行った。
吉本新喜劇を見に行っておこう、ということでメンバーを募った。
中に、関東出身の人もいて、花月劇場の構成に感心していた。

当時の花月は、漫才や歌、落語、奇術などの出し物があって、それが終わったら新喜劇が始まる、という構成だった。
一日2回の公演で、入れ替えはあったと思う。

当時は京都花月、うめだ花月、なんばグランド花月と3ヶ所の劇場で、上席、中席、下席(かみせき、なかせき、しもせき)と出し物が変わるシステムだったと思う。
今は京都(祇園)となんばで、演目は1週間で変わるようになった。
梅田では新喜劇はやっていない。

3時間ほどの公演だったと思う。
吉本の公演はわけの分からない歌手から始まったと思う。
続いて、わけの分からない(見たことがない)奇術師とか、全くテレビに出ていない漫才師とか、売れない落語家と漫才師がやるコントなど、そういうのがあって、ようやくテレビに出ている漫才師が出てくる。
あの当時のトリはオール阪神・巨人とか、中田カウス・ボタンとかだったと思う。

そのトリが終わって、吉本新喜劇が始まるという寸法。

それをぼくと関東出身のやつとで見ていた。
当時の梅田花月はちょっと場末の感じがあった。
そこに、おばあちゃんに連れられた小学校の低学年の女の子がいた。
ぼくらの前に座ってずっと見ている。

漫才を見て笑い、新喜劇を見て笑う。
最初から最後まで、ぼくらと一緒の時間を過ごしていた。

見終わってから、その関東出身のやつが「あんな小さな頃から、こんなのを見て鍛えとるんですなあ」という。
彼は入社して初めて関西に来て十数年、関西人の話ぶりに感心していた。
どうしてあんなふうに(漫才のように)話せるのか、と思っていたらあの小学生を見たということだ。
あの年齢からこんなのを見ていれば、鍛えられるわなあ、という感心だった。

ぼくは、関西人がみんな花月に来て見ているわけではないが、ほとんどの関西人が子供時代に吉本新喜劇を見て過ごすだろう、と言った。
それはおそらく本当だったと思う。

今は新喜劇のテレビ中継も減り、それほどではないかもしれない。
というより、吉本の影響は日本全土に広がった。

それでも、関西人は笑いに関しては強いと思う。

どこかに吉本新喜劇のDNAがあるのだろう。

今も、彼が感心しただけのことはあるのだ。

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