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2016.02.09 Tuesday
関西の笑い
1989年、吉本興行が新喜劇をやめようというキャンペーンをはった時期があった。
そのころ、会社のメンバーで何度か花月に行った。 吉本新喜劇を見に行っておこう、ということでメンバーを募った。 中に、関東出身の人もいて、花月劇場の構成に感心していた。 当時の花月は、漫才や歌、落語、奇術などの出し物があって、それが終わったら新喜劇が始まる、という構成だった。 一日2回の公演で、入れ替えはあったと思う。 当時は京都花月、うめだ花月、なんばグランド花月と3ヶ所の劇場で、上席、中席、下席(かみせき、なかせき、しもせき)と出し物が変わるシステムだったと思う。 今は京都(祇園)となんばで、演目は1週間で変わるようになった。 梅田では新喜劇はやっていない。 3時間ほどの公演だったと思う。 吉本の公演はわけの分からない歌手から始まったと思う。 続いて、わけの分からない(見たことがない)奇術師とか、全くテレビに出ていない漫才師とか、売れない落語家と漫才師がやるコントなど、そういうのがあって、ようやくテレビに出ている漫才師が出てくる。 あの当時のトリはオール阪神・巨人とか、中田カウス・ボタンとかだったと思う。 そのトリが終わって、吉本新喜劇が始まるという寸法。 それをぼくと関東出身のやつとで見ていた。 当時の梅田花月はちょっと場末の感じがあった。 そこに、おばあちゃんに連れられた小学校の低学年の女の子がいた。 ぼくらの前に座ってずっと見ている。 漫才を見て笑い、新喜劇を見て笑う。 最初から最後まで、ぼくらと一緒の時間を過ごしていた。 見終わってから、その関東出身のやつが「あんな小さな頃から、こんなのを見て鍛えとるんですなあ」という。 彼は入社して初めて関西に来て十数年、関西人の話ぶりに感心していた。 どうしてあんなふうに(漫才のように)話せるのか、と思っていたらあの小学生を見たということだ。 あの年齢からこんなのを見ていれば、鍛えられるわなあ、という感心だった。 ぼくは、関西人がみんな花月に来て見ているわけではないが、ほとんどの関西人が子供時代に吉本新喜劇を見て過ごすだろう、と言った。 それはおそらく本当だったと思う。 今は新喜劇のテレビ中継も減り、それほどではないかもしれない。 というより、吉本の影響は日本全土に広がった。 それでも、関西人は笑いに関しては強いと思う。 どこかに吉本新喜劇のDNAがあるのだろう。 今も、彼が感心しただけのことはあるのだ。 |
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