考えたこと2

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議論をするということ
今日はいいことを聞いた。

議論をするということは、どういうことか?
聞かれて「うーん、それは…」と詰まった。
答えは「自分の前提をうたがうこと」だと言う。

なるほど。
議論をするのは、自分の考えの暗黙の前提になっていることが正しいかどうかを確かめる、という効果もあるのか。

実際、議論が噛み合わない場合は、前提が違っているというケースが多いかもしれない。

前提というのは、自分が当たり前だと思って、疑問に思っていない。
それを疑うことが議論の効能。

逆に言うと、自分の前提を全く疑わない人と議論をしても、得るものは少ない。

こういう時が、議論が噛み合わない時になるのだろう。

原発反対派と原発容認派の議論など、この最たるものだ。
どちらも前提が違う。
反対派は原発は危険だというデーターだけを信じているし、容認派は原発は危険だがマネージメント次第だと思っている。
また、反対派は自然エネルギーでまかなえると思っているし、容認派はまかなえないか、あるいはコストが高すぎると思っている。
どこかに真実があるはずだが、お互いそれを探そうとはしない。
自分の前提が絶対に正しいと思っている。

これこそ不毛な議論というべきだろう。

どうして譲り合おうとしないのか。
真実は何かということをお互いに探そうとしないのか。

これは、どちらも本当に問題を解決しようとは思っていないからだろう。

たしかに、議論するということは、自分の前提を疑うことだ。


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