考えたこと2

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年を感じること
先日同期入社の友人が亡くなって、知り合いではないが中村吉右衛門も亡くなって、今度は会社の上司が亡くなったという連絡があった。
こういうことで自分の年を感じる。

よく知っている人が死ぬというのは、やはりこたえる。
別に連絡を取り合っているわけでもないし、知らなければ知らないまま過ぎていくのだが、やはりいろんなルートで連絡が来る。
そうすると、あの人も亡くなったのか…、と思うことが増える。

若いころはそんなことは考えない。
まずは、忙しいからだ。
やることがいっぱいあって、余計なことを考えていられない。

加えて、現役の人としか付き合わないし、平和な日本では周りでばたばた死ぬことなどない。
知り合いで亡くなった人といえば、同級生で4人くらい。
仕事の先輩でも数人程度。
どこまでを知り合いというかということもあるが、寿命が長いこの国では60歳を超えてもそんなものだ。

でも、定年を迎えるくらいの年になると、まず第一に暇になる。
小人閑居して不善をなすというが、不善とまではいかなくても、あまり前向きで生産的なことを考えなくなるのだろう。
前向きで生産的なことを考えるためには、やはり社会で現役でいないといけない。

それは仕事でなくてもいいのだろう。
ボランティアでも何でもいい。

昭和の日本の男性は会社人間が多いから、そうなると弱い。
でも、会社以外でつながりを作るために、シニア向けの大学に行っている人もいるし、習い事を始めた人もいる。
畑をやっている人もいるし、クラシックカーいじりをしている人、ゴルフ三昧の人もいる。
人それぞれ、対策をしているのだ。

ぼくのギター教室もそういうものだ。
月に2回習いに行って、2回教える方の教室をやっている。
今は教える方は月に2回だが、仕事ができなくなればもっと増やしたいと思う。

しかし、それもいつまでできるかわからない。

そこから先のことは考えるのをやめよう。




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