考えたこと2

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これで最高学府と言えるのか
「これで最高学府と言えるのか」という社説が日経新聞に出ていた。
日大の理事長の件で書いているのだが、多かれ少なかれ弱小私大の理事会はそんなものだと思う。

もちろん、日大は大きな大学だが、旧来の大学の序列で言えば日大の大部分の学部は偏差値50近辺。
実際には一般入試で入る学生の比率は少なく、系列化も進んでいるようだから偏差値的には学生の偏差値はもっと低いと思う。

偏差値が全てではないが、偏差値で表されるものは多い。
やはり学生の質や先生や職員の質、理事会の質なども、大まかに言えばそれと相関があると思う。

規模も関係する。
日大は大きくなりすぎたのだろう。
そこで理事長がずっと居座っているというのは、どう考えてもよくない。
アメフトの不祥事から、理事会や学校の対応が疑問視されていたのは事実。
ウミがあぶり出されたという感じだ。

中高が先にできていて、大学が後でできたところなどはさらにいい加減だと思う。
学校法人の理事会が中高卒業生で占められていたりすると、大学に対するコミットメントがないから、そうなりやすいのだと思う。

ぼくのいた学校法人も、大学の問題点や課題など、よくわかっていないと思われる人が理事長をやっていた。
「いったいどこの儲けで成り立っているのか」と民間から転職した大学職員としては思う。
下手をすると、傾いた高校以下を生きながらえさせるために、大学の利益を使っているのではないか、とさえ思えることもあった。

教員や職員は教育産業であり、少なくともいいことをしている、という意識がある。
でも、実際には文科省から補助金をもらって、かろうじて成り立っているところも多い。
それを当然と思っている。
納税者の立場には立っていない。

さすがに大きく定員を割ると補助金は出ない。
しかし、それがインセンティブとなって、定員割れを防ぐためには、何でもする。
入試の科目を減らし、推薦入学を増やし、AO入試を増やしたのが、今の弱小私学。

そして、本来大学で学ぶことができない学生が入ってくる。
学生のレベルに合わせて、カリキュラムを変えればいいのだが、そんなことは古い大学のセンセイにはできない。
それができたとしても、「なぜ大学でBe動詞を教えるのか」などと文科省から文句が出る。
完全に悪循環だ。

今の文科省を変えないと、この状況はなくならないと思う。
ことは大学生だけでない。
それにつながる小学校、中学校もだ。
本気で国の義務教育を考え直さないといけない。

その罪に比べたら、日大の汚職事件など小さなことだ。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:49 | comments(0) | trackbacks(0) |