もと小学校教員の中沢氏の
ブログから。
この人は民間企業勤務後、教員になって早期定年退職したという経歴の持ち主。
民間企業で働いて、小学校の教員になる、というのは珍しいキャリアだ。
その視点で、辛口のブログを書いている。
今回も最初からきつい。
「教員は終身雇用年功序列という枠組みで生きています。勤労者の区分けでは「勝ち組」になるわけです。実社会に出たことのない「勝ち組」が、「これが素晴らしい教育だ」といって適当に教授法を考えて、学校内で「今日も素晴らしい実践でしたねえ」と褒め合うエコシステムができあがっているのです。」
さすがに経験者は鋭い。
今や終身雇用年功序列の正規社員となると「勝ち組」ということになる。
今回のテーマは「学校スタンダード」。
知らなかったが、小学校の校則みたいなもので、これをみんなで守ろうというようなもの。
それを「スタンダード」というらしい。
「これは、授業を受ける姿勢や廊下の歩き方、挨拶の仕方、細かい持ち物の規定、服装などを規定し、学校全体で統一しようというものです。先生たちは、授業の心構え、健やかな成長とかいろいろ言いますが、こうすれば管理しやすくなるという、いまだにつづく管理教育の変種です。
このルールを徹底して守らせ、はみ出させず、どんな仕事にも黙々と取り組ませ、自己肯定感を低める教育が、日本の低賃金な労働者の質の高さを担保していた面があります。」
結局、先生は生徒の成長よりも「管理のしやすさ」を重視しているということだ。
これが生徒の自己肯定感を低める、ということらしい。
前にも書いたが、小中学校は今や勉強するところではない。
「勉強は塾で教えてもらえ」ということだ。
では何をやるかというと、授業態度を身につけさせたり、生活指導を徹底することがメイン。
この成果として、ルールを徹底して守らせ、はみ出させず、どんな仕事にも黙々と取り組ませ、結果的に自己肯定感を低める。
この教育が、日本の低賃金な労働者の質の高さを担保しているという。
少々理不尽なことがあっても受け入れ、やりぬき、みんなに迷惑をかけない、というようなことを小中学校の9年間をかけて、叩き込んでいるのが実情。
ぼくは日本の学校は本当に閉鎖的だと思う。
どこの国でも、学校はある程度は社会から隔離されたものだが、日本の場合はそれがひどいと思う。
それは、中沢氏も前に書いていたが、教員も教育委員会も、学校以外の社会経験をしていない人たちがやっているからだ。
そして、中沢氏は学校関係者が主観で生きているといい、こういう言葉でしめくくっている。
「自分たちはほんとうに子供たちのために心血を注いでいる。わたしたちはこれからの新し社会を生き抜いていく力を身につけさせてあげているんだ。
先生たちはこのことを主観的にはまったく疑っていません。
学校関係者は実社会のことにあまり関心がありません。自分たちがやった教育が素晴らしいとしか思っていません。このような無反省は、ふたたび教育現場での失敗は繰り返されるのではないでしょうか。
それはおまけみたいなものですが、勤勉で忠実な低賃金労働者を排出するという役割を終えた学校は、どこへ向かうのでしょうか。それでも、今日も変わらずにハイスペックな低賃金労働者を育てています。」
実際に内部にいた人の話には納得させられる。
本当に教育する人を教育しないといけない。