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2019.10.20 Sunday
世界は多様
日本とマレーシアのインターナショナルスクールでは、差別についての考えが逆になっているという。
日本では、「差別はいけません。みんな同じ人間なのです。」 マレーシアのインターナショナルスクールでは、「差別はいけません。みんな違う人間なのです。」 ということだ。 どっちが正しい、ということではないが、日本の学校の平等志向はよくわかる。 運動会のかけっこはタイムを測って似たようなタイムの子どもで走らせるとか、そもそも順位をつけずにみんな1着にするとか、男子がやる騎馬戦を女子もやるとか、教師と生徒の上下関係をなくすために教壇をなくすとか、学力差を全く考慮せずにクラス編成をやるとか、いろんな事例がある。 いつ頃からこうなったのかはわからないが、平成に入ってこういう話が出てきたと思う。 2011年に一度書いた。 日本は、日本語がどこでも通じるし、島国だし、今まで外国に支配されたこともないし、あまり殺し合いもしてないし、世界でも珍しい国だ。 だから、世界の常識とは違う。 世界では、一つの国に多民族が併存しているとか、言葉が違うとかいう国の方が普通なのだ。 だからこそ、グローバルに展開しないといけない企業は、ダイバシティということを言っている。 ダイバシティとは多様性のこと。 いろんな人がいる方が健全なのだ、という考え方。 東須磨小学校の教員いじめの問題などを見ると、小学校は本当に「同質」の人間を求めていることがわかる。 相容れなければ人間扱いしない、ということだ。 だからこそ、大人であってもああいうことができる。 多かれ少なかれ、どの学校でもそういうことは言えるはず。 だからこそ、氷山の一角が出てきたのだ。 比較的閉じた日本の社会の中でも、一番閉じている世界の一つが教育界だと思う。 何度も書いているが、社会人経験を積んだ事務を入れるとか、社会人からの採用枠を何割か作るとか、そういう具体的な施策が必要だ。 もう猶予はないぞ。 |
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