考えたこと2

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役に立つ勉強
小学校、中学校で習うことについて書いてある記事を見た。

それによると、小学校で習うことは社会生活を営んでいく上で欠かせないという。
これがないと、自立するのすら厳しい。
漢字、分数、割合など。

中学校では、どちらかというと科学的な自然観・社会観を身につける上で、最低限度のものを学ぶということになる。

「例えば、銅が酸化するとき銅8g:酸素2gで10gの酸化銅ができるとか、そういう細かい知識は社会人になった今、忘れているけども、なんとなく金属と酸素がくっつくときは割合があったよな、みたいな自然観が、習った人の心には沈殿する。その程度でよい。」

「たぶん、中学程度で習うことを、自分の自然観や社会観として身につけたら、かなり科学的な物の見方ができるようになると思う。さらに、具体的内容も忘れていなければ、これだけで知識上は自立した大人として十分やっていけると思う。」

今、大学生を見ていて、これらの小中学校で習うことが、ちゃんと定着していないことがわかる。
就職筆記試験で割合や百分率で苦労する学生がいる。
もちろん、文系の学生だが、入試から数学をなくしてしまっていいのかと思う。

そういう学生は、中学でも苦労したんだろう。
言われるように、中学で習うことをちゃんとやっていたら、科学的なものの見方ができると思うが、そこが危機的な状況になっている。
今就職の現場で求められているのは、論理的に書いたり、話したりすることだ。
事実と意見を区別したり、原因と結果を分けて話したりすることがなかなかできない。

これらは、中学までの勉強がある程度ちゃんとできていたら、身につくのではないかと思う。
逆に言うと、発達的な観点からみて、中学卒業までにある程度社会的、自然科学的な見方を身につけないといけない、ということだ。
それこそが、義務教育の役割だと思う。

そういう意味では、義務教育で習う内容は、「役に立つ勉強」だ。
それ以降は直接役には立たない、と記事の中でも言っている。

その「役に立つ勉強」が今軽んじられていると思う。
そこがちゃんとできないまま、高校や大学に進学してしまっても、それこそ役に立たない。(この際、なぜちゃんとできなくても進学できるかは置いておく)

だから、力を入れるべきは義務教育なのだと思う。
そこがちゃんとしてないのに、高等教育に力を入れてもほとんど効果がない。

大学の無償化よりも、そちらが先だ。


| | 考えたこと | 23:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
残りの時間
一日は誰にとっても24時間。
年令を重ねると、その時間がだんだんと気になってくる。

若い頃は、時間を意識しない。
意識しないというのは、自分の時間に終りがあるということを思わないということだ。
いつか、という時間があると思っている。

いつかこれをしよう。
いつかこの本を読もう。
いつかあれを買おう。

そのいつかは決まっていないが、「いつか」来ると思っている。
それが「若い」ということだ。

50代に読もうと思って買った本が、読めないままたくさん置いてある。
俗に言う「積んどく」というやつだ。
買ったときには、その本に興味があって、いつか読もうと思ったものばかり。
特に仕事がらみのものは、今更読んでもなあ、と今になって思う。

よくあれだけ本を買ったものだと思う。
毎日少しずつ読めばいいとも思うのだが、最近は老眼がひどくなったのと、横になったら眠くなるのが手伝って、なかなか本を読む気にならない。
こういうのを老いの繰り言というのだろう。
ここのところ、もう買うのをやめたから、あまりたまらないが…。

人生の時間は有限だ。
そんな当たり前のことがわからないかった。

これから先は、あとさきを考えて行動しないとなあ。



| | 考えたこと | 00:18 | comments(0) | trackbacks(0) |