考えたこと2

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初日の驚き その2
学校法人に転職した初日、入学式のことは昨日書いた。
今日はその後のこと。

ぼくの仕事はコンピューターの関係の仕事だった。
そういうことに詳しい人が必要だ、というので呼ばれた。
ぼくは専門家ではなかったが、前の職場でシステム関係のことはやっていたので、その仕事になったといういきさつ。
学生の情報教育をどうしていくかとか、コンピューター教室を運営するとか、そういう役目だ。
ぼくのために部署を一つ作ってくれた。
ただし、職員はいない。図書館にいて、その建物の4階にコンピューター教室があり、そこに専門の派遣スタッフがいて、その人たちがぼくと一緒に仕事をした。
後から思えば、ずっと大学にいる人と一緒に働くよりも、よかったと思う。

その役目を決めてくれた事務局長が、初日から広報委員会に出てほしいという。
右も左もわからない状態で、いいんですか?と聞いたら、ちょうどその年にできた委員会だからかまわない、ということだった。
主に大学のホームページが「しょぼくて、受験生にあまり見られない」ということが議題らしい。
ということで、入学式の後に広報委員会なるものに出た。

出席者は副学長、学部長、学科長あたりだったか。
よく覚えてないが、10人足らずの会議だった。
とにかく、初めての顔ばかりなのであまり邪魔をしないように聞いていた。

しかし、集まったメンバーはあまりホームページの内容に詳しくなく、どうしたいのかよくわからないという。
あまりにも要領を得ない会議だった。
おまけに、委員長が「それでは、こんど来られた方がそのあたりはお詳しいということなので、お任せして…」と言うのでビックリした。

それまで黙って聞いていたが、こうなると言わないと仕方がない。
話したことは以下の内容。

大学のホームページを受験生に見てもらって、受験生を確保したいという目標は理解する。
見せ方はどうにでもなるが、どういう内容を見せたいのか、コンテンツが魅力的でなければダメ。
コンテンツのことは、ぼくは素人で全くわからない。だから、それを決めてほしい。

そういうと、議長が「あなた、とてもいいことをおっしゃる」と言った。

アタリマエのことを話しただけだったが、今までどういう考えでやってきたのか、と思った。

これが二つ目の驚いたこと。

ここからぼくの2つ目のキャリアが始まった。

| | 考えたこと | 21:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
初日の驚き その1
学校法人に勤務したのは2004年の4月から。
その前日まで元の会社で働き、翌日学校に行った。
4月1日は入学式になっていて、職場に行って挨拶し、入学式に出た。

ぼくは自分の大学の入学式の記憶がほとんどない。
出たと思うのだが…。
しかし、29年ぶりの入学式はびっくりするものだった。

勤めた学校法人は宗教法人が作ったというものではなかったが、学園の始祖が僧だったということで、何かというと宗派の法要がある。
入学式もご多分に漏れずいきなり法要が始まる。
大学のホームページ等には全く宗教色はないので、何から何までびっくりした。

まず、出てきたのが神父のような姿の人。
これが仏教なのかキリスト教なのかわからない。
なんやこれ、と思っていると音楽が流れ、それに合わせて聖歌隊みたいな格好の女性が出てきてお供えをする。
灯明、お香、お花の順にお供えして、たしか天井から蓮の花びらが落ちてきた。

ちょうど同年に入職した大学院の卒業生が隣りにいたので、「これはどういうことなんですか」と聞いたら、「この学園は仏教系なんですが、それをあまり仏教系らしくなくやるとこうなるんです」という解説だった。
彼女も「初めて見たらビックリしますよね」と言っていた。

後々聞いたら、僧服は洋装のものがあり、それは神父のカラーを取ったもののような服だとのこと。
音楽はちゃんと宗派のCDがあり、オルガン主体のちょうど教会で鳴らすようなものが存在する。
普通に生きていたら、一生聞くことはないと思うが、サビ?が「ドレミファミレド」の音階にしたがって、「なむあみだぶつ」という歌詞の曲もある。

新入生にしたら、え、こんな学校だったのか?とちょっとカルチャーショックを受けるような感じだ。
それを和らげようとして洋風にやるのだが、それが余計に無国籍な感じになる。
保護者も含めて、ビックリするだろう。
でも、中高短大はずっとこれでやってきているので、変えられない。
別に宗派からお金をもらっているわけではないのだが、建学の精神も仏教に基づくものであり、だから法要をやるということだ。

ぼくが入植した時の大学学長はキリスト教の洗礼を受けている人で、これもまたビックリ。
当時、規定を改正して学長を迎えたということらしい。
それなら法要もやめたらよかったと思うのだが、それは学校法人の意向にそぐわない。

この仏教的なるものについては、在職中にいろいろと考えさせられた。
とにかく、説明なくいきなり始まる、というのがそれらの特徴だと思う。
少しでも事前に説明して、これからこういう意図でこういうことを行います、ということがわかっていれば、こちらも心の準備ができるのだが、そういうことは一切しない。
法要の段取りを書いた式次第も配られるのだが、そこにも一切説明はない。
やることの名称と、唱えるお経などが羅列されているだけだ。
そこに座って、じっと聞いていたらわかる、というような考えなのだろう。
でも、10年たってもわからない。
せめて意味の説明でもすればいいのに、と思う。

でも、やっている側は、そうしてしまうと権威がなくなる、という風に思っているように見える。
葬式でもそうだ。
こないだキリスト教の葬儀に出たが、ちゃんと神父が参列者に説明する時間がある。
多くの場合、実際に故人を知っている神父が話すから親近感がある。
聖歌も歌うが、日本語で意味はわかる。

仏教の葬式ではお経の意味も伝えないし、何をやっているのかわからない。
勉強不足といえばそれまでなのだが…。
宗派によっては説教もあるにはあるが、故人とのつながりも感じられず、一般論になる。

日本の仏教はそういう説明を嫌うから、民衆から離れてしまったのではないかというのがぼくの結論。

いくら民衆が離れても、葬儀の時にはお寺のお世話になってお布施がもらえるだから、普段の生活では離れていても構わないという姿勢になってしまった。
葬儀で金を儲けるというのが、失敗だったのだろう。
でも、それがあったから生き延びてきたとも言える。

これが学校法人初日のビックリしたことの一つ目。

二つ目は別に書く。
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