考えたこと2

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減る一般入試
大学ジャーナルオンラインによると、2016年の入試において、私立大学では半分以上の入学者が一般入試以外のAOや推薦入試を経て大学に入学した、ということだ。

詳細データーは、一般入試での入学率が国公立では81.1%、私立大学では49.1%ということだ。
私立大学でも理系では5割を超えているとのことだから、理系以外の学部では49.1%よりももっと低くなる。

偏差値という序列があるが、それはあくまで一般入試だけのことであり、推薦やAOは入っていない。
偏差値を上げるためには、一般入試で合格する受験生を減らせばいいから、うがった(当然の?)見方をすれば、推薦・AOでなるべく多く入学させればいいということになる。

よく大学を選ぶ時に偏差値を気にするが、どれだけの人が一般入試で入っているかということも気にしないといけない。
今やっている推薦やAOという入試で多くの受験生を取っている大学は、いくら偏差値が高くても、実際に入学者全体の偏差値をとると低くなる。
それが極端だと、せっかく一般入試で入っても、レベルの低い授業を受けないといけなくなったりする。

本来の学校としては、入試でレベルの揃った入学者をそろえるのが理想的。
そうすると、教育の効率が上がる。
一般入試の比率が下がると、学力のバラツキが大きくなる。

そういう大学では入学後、英語のプレースメントテストというのをやって、英語の授業のクラス分けをしている。
本来なら入試の英語の点数でみればいいのだが、なぜ入学後全員揃ってやるかということだ。
AOや推薦で入った学生のレベルがわからないからだ。

教育の効率というと、あまりいい言葉に聞こえないが、要はできる学生のやる気をそがず、できない学生を諦めさせないということだ。
英語については、あまりにクラスの中のばらつきが大きいと、上に合わすと下の学生が全く着いてこられずやる気をなくすし、下に合わすと上の学生がやる気をなくすし、真ん中に合わすとどっちつかずになる、ということになる。
実際、2ちゃんねるなどの掲示板に学校ごとのスレッドが出ているが、英語の授業などについては苦情が多い。
だからこそ、入学後にプレースメントテストをやる。
同じようなレベルの人を集めて、それなりの授業をしないと、落ちこぼれが出たり、簡単すぎてやってられない、という学生が出てくる。
そのことを見ても、プレースメントテストをやっている大学の入試の意味がないことがよくわかるだろう。

今の入試改革の方向は、AOなど主観的な評価を増やそうというもの。
本当にそれでいいのだろうか。
AO入試は本当にマジメに大学が高校を訪問して「こういう学生がほしい」ということを伝え、高校もそこをちゃんと押さえて評価し、本当に学力とやる気がある学生を出せればいいと思う。
でも、今の中下位の大学や高校のやっていることを見ていると、あまり期待は持てない。
こないだも書いたが、主観的な評価はバラツキが大きく、信用できないと思う。

文科省の役人は0.1点に泣く受験生を問題視しているが、あくまで客観的な点数で評価されて、そこで0.1点低いということは厳然たる事実。
それが面接点で試験官の主観的な評価で落とされたら、それこそ納得できないだろう。
いくらすり合わせをしても、面接官の印象でどうにでもなる面接試験などあてにならない。

ぼくは去年、資格試験で面接のロールプレイの試験を受けたが、あれは試験管の考えでどうにでもなると思う。
たった20分程度の試験で、そんなに正確にわかるわけがない。

ぼくは客観テストを主体にするべきだと思う。
そうでないと、大学までイエスマンを育てる教育になってしまうような気がする。




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