考えたこと2

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相馬に行く 3
阪神大震災の時と違って、もともと田舎で集合住宅などなく、わりと広い住まいに住んでいた人たちが、こんなに小さなプレハブの仮設住宅に入り、ストレスが大きいみたいだと彼は言っていた。

相馬駅前に戻って、ホテルにチェックインし、夕食に行く。
相馬は港町だから、海の幸の店に行くことになった。
駅前の通りは昔風のスナックが多い。
普通の家風のところもあるし、きらびやかな店もある。

会社時代の彼は12月など飲み会ばかりの飲み助だったが、今はほとんどいかないという。
若い人たちはそんなに飲まないし、みんなクルマで来ているらしい。
そのうえ、毎日仕事で遅い。
やることはたくさんあるとのこと。

初めて行く店だというところでは目光(めひかり)の干物、ホッキの天ぷら、刺身などをたのむ。
目光という魚は初めて食べたが、干物でもとても脂が乗っていておいしい。
さすがに海のものはそこで食べないと…。
ぼくはあまり日本酒は飲まないのだが、ここの地酒はなかなかいける。

飲みながらN君の話を聞く。
去年の5月に彼の定年の送別会があったのだが、その時はまだ就職先は決まっていなかったとのこと。
東京のNPOの母体の人とスカイプで話をした程度。
全く内定などの話もなく、送別会の時は白紙の状態だったらしい。
それから正式に面接をして、ようやく決まって、相馬に行くということになった。
子供はみんな結婚もして片付いており、母親はまだ一人で暮らせるという身の上だったこともある。
それで、今は職場から歩いて5分のワンルームに奥さんと愛犬と一緒に暮らして、仕事をしているとのこと。
35歳の人がリーダーで彼はその補佐役 。
そこで若手のメンバーと頑張っている。
ここでは何でもやるんや、と笑う。

何で会社に残って65歳まで仕事しなかったのか、と聞くと最後の仕事での赴任先でいろいろと思うところがあったとのこと。
最後は海外の単身赴任だったから、考える時間は充分あっただろう。

もう一つは会社に残っても65歳までで、そこから先を考えると早く第二の人生を長くできる道を見つける方がいい、ということだ。

88歳まで元気で働く予定だ、と話す。自らプロジェクト88と名づけている。
今のNPOは1年毎に契約更新だから、とりあえず来年の9月までは大丈夫、再来年はわからない、と話す。
でも88歳まで働きたい、という。
60歳を越えたら、世のためになることで給料がもらえたらいい。
それは多い方がいいが、少なくてもかまわない。
そういう人生を過ごしたいということらしい。

会社時代にはそんな考えの持ち主には全く見えていなかったが、それはぼくが人を見る目がなかったということだろう。

翌日はクルマで朝から南相馬から浪江町へと走る。
途中、ここまで水没したとか、線量がいくらとか、いろんな掲示がある。
帰還困難地域に入ると当たり前だがゴーストタウン状態。
その手前のこの7月に戻れるようになったというところも1割程度しか帰っていないとのこと。
原発の被害は大きい。
でも、その半分以上は人災のような気がする。
いい加減に無用なデマを流すのをやめ、基準を見直したり、トップポリシーで決めていかないと手遅れになる。
もう、手遅れの感はあるが。

そこここで作業をしている。
除染の土を袋につめていたり、測量をしていたりする。
5年経っても汚染水をためている。
終わりのない仕事。
これを終わらすのは政治家の仕事だと思う。

昼はぼくのリクエストで、鹿狼の湯というところでそばを食べる。
十割とろろそばを大盛りでいただく。
東北のそばはうまい。

こちらは関西のようにうどんはなく、そば屋が多いとのこと。
相馬にも「道とん堀」というお好み焼きの店はあるが、やはり関西とは違うらしい。
もちろん、たこ焼き屋などない。

昼を済ませ中村城跡、中村神社、相馬神社参拝。
相馬神社の入り口に二宮尊徳坐像があった。
ここに本人が来ているわけではないが、弟子が来て像を作った。
彼はこちらに来てそれを知り、二宮尊徳のことを勉強したらしい。

「道徳なき経済は罪悪であり 経済なき道徳は寝言である」

非営利団体であるNPOにも、営利団体である企業にも当てはまる名言。
これを二宮尊徳が言ったという。
ぼくは学校の先生の一部が営利企業を儲け主義と嫌っていることを挙げ、「経済なき道徳は寝言」とは言えてる、と話した。
NPOも経済的な視点を持って、地域の経済を活性化するような道を模索していかないといけない、とのこと。
なかなかいいことを言う。
そういう意味で、自分がやっている企業のデーターベースをうまく使って、最終的には地域経済の発展につなげていきたいとビジョンを語っていた。

帰りのバスまで時間があるので、もう一度海岸へ。
波の音を聞きながらベンチでおっさん二人。
さすがに平日で海岸はほとんど人がいない。

今回相馬に来て、彼の仕事の話を聞いて、面白かった。
「みんな心配してるで」というと、「元気にやってる言うといて」とのこと。
実際、顔色もよく、若い人たちに囲まれ、いきいきと仕事をしているようだった。
会社のしがらみからも開放され、自分の60年の経験を活かして仕事をしている。
退社の時に、自分が35年かけてやってきたものは全て置いてきた。
そこに一抹の寂しさはあったが、結局はそんなものはなくてもどうということはない、と笑う。
自分の35年の経験こそが財産なのだ。

今は毎日昼ごはんを家に帰って食べるとのこと。
夜は1時間かけて老齢の愛犬の散歩に付き合っている。
仕事は忙しいが、一方でそういうことも、ここならできるという。

NPOに来る若い人は、ボランティアからそのまま居着くケースも多いらしい。
でも、彼らは会社の若い人とは感じが違うとのこと。
それはそうだろう。
でも、企業では若い人たちにやりがいを持たせるマネジメントこそが、今は望まれているのだと思う。
あの若い人たちを育てていくことも自分の仕事の一部だという。
やりがいはあるだろうなあ。

もう一度駅に戻って、待ち時間にフェイスブックの友だち申請をする。

相馬は遠かったが、何となく来た時よりも心は軽くなった。
代わり映えしない日常のリフレッシュができたとお礼をいう。

彼からは「遠路はるばる陣中見舞いに来て頂きありがとうごさいました。また、来て下さい。」とコメントが来た。

「次回はツアーを組んで、何人かで来るわ」と言って別れた。

いい旅行だった。

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