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2016.09.11 Sunday
9.11
今日は9月11日。
アメリカ人、特にニューヨーカーにとっては忘れられない日。 あのテロから15年たった。 ナショナルジオグラフィックやヒストリーチャンネルで朝からドキュメンタリーをやっているが、あの日の様子がよくわかる。 エミー賞を取ったドキュメンタリーを放送していた。 ビルにハイジャックした飛行機で体当りするとは、恐ろしいテロだ。 手をつないでビルから飛び降りる人たちを見たという人がインタビューに答えていた。 辛くも逃げおおせた女性二人。 お互いに、自分が経験したことを知ってくれている人がいる、ということで今も親友だという。 共有できる人がいる、ということが支えになるんだろう。 ブッシュ・ジュニア大統領はこの後テロとの戦いに邁進した。 こないだ見た、オリヴァー・ストーンのドキュメンタリーでも取とりあげられていた。 あのテロは文明の先端で起こったから、克明に記録されている。 何があったかがよく分かる。 本当に悲惨だ。 でも、中東ではこんな光景に近いものが日常的に起こっているんだろう。 あのテロを行った側の論理は、やられたらやり返す、というものだった。 だからといって、テロリズムが許されるわけではない。 人間は愚かだということだろう。 冷戦後も世界のどこかで紛争は続いている。 大きな戦争は核が抑止しているが、小さな紛争はなくならない。 紛争の原因は民族や宗教、その他いろいろな利権、そして正義やイデオロギーというのもある。 いつか本当に世界中が平和になる時があるんだろうか。 民族や宗教を乗り越えて、普遍的な価値観を共有することができるんだろうか。 そういう事を考える日になった。 ドキュメンタリーを見ていると、方丈記の無常観を思う。 あの作品は平和な公家の時代から、武士の時代へと移り変わる、そんな混乱の時代に書かれた。 「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある、人とすみかと、またかくのごとし。 玉敷の都のうちに、棟を並べ、いらかを争へる、高き、賤しき、人の住まひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。或いは去年焼けて、今年造れり。或いは大家亡びて、小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかに一人二人なり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ、水の泡にぞ似たりける。」 世界中の人が無常観を持てば、世の中は平和になるかもしれない。 |
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