考えたこと2

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今日から9月
今年も9月が来た。
9月というと、何となく特別な感慨がある。
夏休みが終わって、学校が始まる時期で、夏の名残を惜しむ気持ちが習慣になっているからか…。
もっとも、今の学校は2学期制になっているところもあるし、行事が増えて8月の終わりに始業式をやるところも多いらしい。
今どきの子供が大きくなった時には、9月1日にぼくのような感慨はないかもしれないなあ。

2005年の5月に始めたこのブログもいつの間にか12年が過ぎた。
今日は9月の最初の記事をふりかえって書く。

2005.09.03 ディズニーランド
ディズニーランドがなぜ人気があるのかという本を読んで、従業員一人ひとりがお客様に夢を与える、という目標をもっているから、ということが書いてあったという話。
記事を印刷したものを渡されたのを思い出した。
そういえば、このころ顧客満足度という言葉が流行っていた。
難しいのは「常に変わり続ける」こと。
従業員が「夢の価値」を信じることて、誇りを持って働く、というのはスゴイことだ。
でも、今はUSJに抜かれて、ちょっと調子が悪い。
やはり、変わり続けるのは難しいということか。

2006.09.01 円と正方形
円と同じ面積の正方形が作図できない…、そんなことに2000年以上もかかった、ということに感心。
そういうことに感動する。
このころ、そういう本を読んで、はまっていたような思い出がある。

2007.09.01 エヌサン
初めて乗った軽乗用車。ホンダのN360の話。
懐かしい。
今のように誰でもエンジンがかけられる、というクルマではなく、人間味があったという話。
ホント、そうやった。

2008.09.01 バンドの寿命
サザンが解散したことについて書いた。
今は再結成しているが、この時解散した。
30年が節目かもしれない。
なかなか30年は続かないからなあ。

2009.09.01 みたく
「みたく」という言い方に違和感があって書いた。
〜みたい、という意味の「みたく」。
さすがにあれから時間がたって、違和感は減ったが、それでもやっぱり自分では使わない。
言葉についてもいろいろ書いたなあ。

2010.09.02 人間模様
入院中だった。
この前後は病院の話が続く。
若い看護婦さんの聞き上手に感心。
目の不自由なおじいさんとの会話でみせたヒューマンスキルの高さだった。
そういえばそういうこともあった。

2011.09.01 つくつく法師
最近はめったに聞かないつくつく法師。
あの鳴き声が聞こえたという記事。
つくつく法師はなぜあんなに複雑な鳴き方をするのか、調べても載っていない。
今でも調べる価値はあると思うが、答えは出ないだろう。

2012.09.01 小学校
分数ができない大学生の記事。
小学生の算数ができない状態を長らく放置していいのか、と書いている。
それは今も続いている。
そんなこともできないのに、やれ英会話だ、プログラミングだというのは本末転倒だ。

2013.09.01 シトロエン
シトロエンが作っているハイドラクティブサスの話。
プジョーグループに吸収されてしまったのは今でも残念。
ユニークなクルマを作っていたのになあ。
シトロエンのGSは今でもカッコいい。

2014.09.02 「学校は変」
東大の先生が、子どもの小学校の行って感じた違和感の話。
その先生の意見である、「どう考えても教師自身が、自分の頭で考えて発言しているとは思えません」という意見に同意。
ちゃんと考えて話せる先生がどれだけいるのか。
その問題は根が深いと思う。

2015.09.01 いじめの調査2
文科省のいじめの調査について。
いじめの調査結果が都道府県で件数に83倍の開きがあったという。
「認知件数が多い学校はいじめを積極的に把握し、解消に向けて取り組んでいるとみて極めて肯定的に評価する」という方針に賛成。
さすがにこれだけ問題が起こると、文科省の事なかれ主義(現場が迎合したことによる)ではダメということだ。
いじめはなくならないと思うが、いじめの自殺はなくさないといけない。

12年をふり返ると、思い出すことも多い。
クルマ、音楽、言葉、学校のことなど。

書くことの幅が狭くなってきたような気がするなあ。

明日からまたがんばろう。


| | 考えたこと | 20:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
セルフトーク
オリンピックに出ていたバドミントンの女子シングルスの奥村選手は、コートに入る前にはっきりと言葉に出して何かをつぶやいて試合に臨む。
自分に言い聞かせる言葉だ。
前にも書いたが「ここまで来られたことに、たくさんのサポート、ファンの皆さんの声に、すべてに感謝して、この舞台を楽しもう、やりきろう、よし!」というようなことを言うらしい。
ケガを乗り越えてきた経験が、この感謝の気持ちをつぶやかせるのかもしれない。
それを五郎丸のようにルーチンにしている。

回りの人達に対する感謝をつぶやくとは、いかにも日本らしい、と西洋人は言うかもしれない。
でも、それは文化の違いであって、それが自分を鼓舞するという意味では同じことだ。

海外では心理学者がこういう研究をよくする。
セルフトークで自分を高めることができるか、というようなものだ。

イギリスの研究者は「自分を励ます独り言は実際に効果的だ」という。
記事によると、

「たいていの人は自分の能力を高めたいと考えている。「競争相手より自分のほうが優れている」と自分に言い聞かせることは米国人にとって当たり前のことであり、自信を持てない人は米国人ではないかのような印象さえ与えかねない。

 とはいえ、自分を鼓舞すれば本当により良い成果を挙げられるのだろうか。

 心理学の世界では以前から、セルフトークや自己教示、つまり望んでいない思考や行動を変えるために自分自身に語りかけることで、気持ちも切り替えられることが分かっている。

 セルフトークは認知行動療法の技術の1つで、例えば、落ち込んでいるときに「私は新しい友達をつくることができる興味深い人間だ」とか、「私は一度に1つのことに集中できる」といった言葉を自分にかければ、考え方や物事に対応する能力の修正に役立つ。」

と書かれている。

実験結果からは単純なセルフトークが効果が大きい、という。
また、努力と技術は別物であって、今回の実験は主に努力(集中力?)の部分が大きかったから、効果があったと言われている。
それはそうだろう。
全く技術的に練習していないものが、「きっとできる」というセルフトークで突然できるようになるとは思わない。

こういうのは、それなりに技術(知識でもいいと思う)を身につけ、回りからみてもポテンシャルがある、という人が効果を上げるものだと思う。
「火事場の馬鹿力」という言葉があるが、それを発揮できるかどうかは心理的なものにかかっていて、セルフトークの効果が期待できるのかもしれない。

日本人はネガティブに考えがちだ。
「もしダメだったらどうしよう」とかいう考え。
これは萎縮を生んで、悪い方に働くだろうなあ。

そうつぶやくくらいなら、「きっとできる」とつぶやく方がマシだ。
でも、今回のオリンピックで見た若い人たちは、そういうことをやっているんだろう。
もう昔の日本人ではない。

でも、吉田沙保里や福原愛はしんどかっただろうなあ。
特に吉田は試合後のインタビューが気の毒だった。
あれは責任感から、セルフトークが「負けたらダメだ」というネガティブな方向に行ったのかもしれない。
いいメンタルコーチがいたら、結果は違っていたのかもしれない。

そういう人文科学的なアプローチをもっとやらないといけないなあ。


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