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2016.09.17 Saturday
「みんなの意見」は案外正しい
「みんなの意見」は案外正しい ジェームズ・スロウィッキー 角川文庫
最近、ダイバーシティという言葉をよく聞く。 「多様性」と訳されるが、これは主に企業の人事畑で使われるような言葉。 組織の中の多様性は大事だ、というような感じ。 その多様性がなぜ大事なのか、ということの答えがこの本。 「はじめに」のところで、牛の見本市の場面を例に引く。 雄牛の重さを当てるコンテストが行われ、それに800人がエントリーしたという。 畜産農家や食肉店の人間が多かったとはいうものの、800人もいると家畜の重さについてほとんど知らない人もいて、その人たちが一票を投じた。 イギリスの科学者ゴールトンは、みんなの平均的な意見よりも専門家の意見のほうが正しい、ということを検証しようとして、この投票の結果を見た。 「ゴールトンはグループの平均値が、まったく的外れな数値になると予想していた。非常に優秀な人が少し、凡庸な人がもう少し、それに多数の愚民の判断がまざってしまうと、結論は愚かなものになると考えたからだ。だが、それは間違いだった。予想の平均値は1197ポンドだったが、実際の重さは1198ポンドだったのである。血統の善し悪しに関係なく、「みんなの意見」はほぼ正しかった。」 「プリマスでゴールトンがその日偶然発見したことは、この本の核心にある単純だが力強い真実である。適切な状況下では、集団はきわめて優れた知力を発揮するし、それは往々にして集団の中で一番優秀な個人の知力よりも優れている。優れた集団であるためには特別に優秀な個人がリーダーである必要はない。集団のメンバーの大半があまり知識がなくても合理的でなくても、集団として賢い判断を下せる。一度も誤った判断を下すことがない人などいないのだから、これは嬉しい知らせだ。」 もちろん、集団の狂気という言葉もあるし、過去の事例を見れば集団的にヒドイことをした例もある。 それらは、集団が賢くあるための条件を満たしていなかったからだ。 「集合的にベストな意思決定は意見の相違や異議から生まれるのであって、決して合意や妥協から生まれるのではないから、多様性と独立性は重要だ。認知の問題に直面した賢明な集団は、メンバー全員にとってハッピーな結論に到達するべく、各人に意見を変えるよう求めたりしない。その代わり、市場価格や投票制度などを使って集団のメンバー個人の意見を集約し、集団全体としてみんなの意見を明らかにするよう試みる。逆説的な感じもするが、集団が賢い判断をするためには、個々人ができるだけ独自に考えて、行動することが不可欠である。」 ここで多様性ということが出てくる。 集団で最も適切なことを決めようと言う時には、多様性(と独立性)が大事なのだ…、というよりそういう多様性のある組織を作らないと、集合知が使えなくなるということだろう。 だから、組織には多様性が必要ということになる。 特に日本の場合、高度成長期は欧米という目標があって、それにキャッチアップするということだったから、暗黙の合意や妥協を備えた組織でやってこられたが、その目標を達成して、新たな目標を立てる段階になった時、合意と妥協の組織ではダメになったんだと思う。 グーグルのような多様性を持って、自ら理想を掲げ、何でもやってみるというような、緩い縛りの組織が必要になってくるんだろう。 この本を読むと、そういう多様性が大事だということがよくわかる。 第2章ではオールズモビルというアメリカの昔の自動車メーカーが、クルマの揺籃期に成功したPR活動の例を引いている。 「このアプローチの成功の鍵を握るのは、絶対成功しそうもないような大胆なアイディアを後押しし、積極的に投資するシステムの存在だ。また、このシステム以上に重要なのが多様性だ。これは社会的多様性ではなく、認知的多様性のことである。同じ基本コンセプトを少しずつ変えただけのアイディアよりも、発想が根本から違う多様なアイディアがたくさん出てくるように、起業家の発想には多様性が必要だ。 それに加えて資金を持っている人の多様性も必要だ。分権化された経済のメリットの一つには、意思決定をする権力が(ある程度までは)システムの中で分散している点にある。だから、豊富な資金をもつ出資者たちがみんな似たような考えだと、せっかくのメリットも活かされない。出資者たちの考え方が似ていれば似ているほど、彼らが評価するアイディアも似通ってしまうので、一般の人の目に触れる新商品の種類やコンセプトが限られてしまう。逆に、出資者たちにも認知的多様性があれば、ものすごく過激で、ありえなさそうなアイディアに賭ける人が出てくる蓋然性は高くなる。資金調達先の多様性がアプローチの多様性につながるのだ。」 「多様性は二つの側面で影響を及ぼす。多様であることで新たな視点が加わり、集団の意思決定につきものの問題をなくしたり、軽減したりできる。 多様性の奨励は、有権者や市場などの大きな集合体よりも小さな集団やメンバーが限定されているかっちりとした組織体にとってより大きな意味を持つ。その理由は極めて単純だ。市場などはそもそも規模が大きく、資金さえあれば誰でも参入できる。参入障壁が低いということは、すでに一定の多様性が保証されているのと同じである。 会社などの組織の場合は、それとは対照的に認知的多様性を積極的に奨励しなければならない。特に組織が小規模であればあるほど、特定の偏向を持った少数の人物が不当に影響力を行使して、集団の意思決定を簡単に歪めることができるので、多様性を大事にしなければならない。」 ぼくがアップルよりもグーグルを信頼するのは、まさにそういうところだ。 スティーブ・ジョブズは素晴らしいデザイナーだったが、一方で専制君主でもあった。 そのやり方はどう受け継がれたのかはわからないが、長い目で見ればアップルの戦略よりもグーグルのほうが多様性という意味で優れているのだと思う。 そして専門性の危険さに警鐘を鳴らす。 ウォートン・ビジネススクールの教授J.スコット・アームストロングは「専門知識がもたらす決定的な優位性を示す研究は存在しない。専門性と正確性に相関は見られない」という結論に達したという。 「専門家はまた、自分の見解がどれくらい正しいか推し測るのが、驚くほど下手だ。彼らも素人と同じように自分の正しさを過大評価する傾向にあることがわかっている。 経済学者のテレンス・オディアンが自信過剰の問題を調査したところ、医師、看護師、弁護士、エンジニア、起業家、投資銀行家などは、全員自分が実際に知っている以上のことを知っていると信じていた。同じように為替相場のトレーダーを対象にした最近の調査で、七割の確率でトレーダーは自分の為替相場の予測の確度を確信しているとわかった。要するに、彼らはただ間違っているだけではなくて、自分がどれぐらい間違っているかすらまったくわかっていないのである。 これは分野を問わず、すべての専門家に共通している法則のようだ。予測を生業とする専門家の中で自分の判断の狂いを正確に測れるのは、優れたブリッジのプレーヤーと気象予報士だけだ。気象予報士が30%の確率で雨が降ると予測した日のうち30%は雨がふるのだから。」 ブリッジは勝ち負けで、気象予報士は数時間後の天気で結果が出るからだろう。 専門バカという言葉があるが、みんな経験的にはそれをわかっていても、いざ専門家のいうことを聞くと信じてしまったりする。 そこにこういう危険性がある。 だからこそ、組織は多様性を保たないといけない。 もちろん、多様性だけではイケナイと第4章で語られる。 多様であるがゆえにいろんな情報が出てくるが、それらを適切に伝え、判断するところが必要だ。 コンピューターのオープンソースであっても、諜報機関であっても、軍隊であっても優れた組織であるためには多様性だけではいけない。 逆説的ではあるが、何らかの集約のメカニズムが必要ということだ。 「分散性がすばらしいのは、独立性と専門性を奨励する一方で、人々が自らの活動を調整し、難しい課題を解決する余地も与えてくれる点にある。逆に分散性が抱える決定的な問題は、システムの一部が発見した貴重な情報が、必ずしもシステム全体に伝わらない点にある。貴重な情報がまったく伝わらず、有効にい活用されない危険性がある。 いちばん望ましいのは個人が専門性を通してローカルな知識を手に入れて、システム全体として得られる情報の総量を増やしながら、個人が持つローカル知識と私的情報を集約して集団全体に組み込めるようになっている状態だ。こういう状態をつくりだすために、市場であろうと、企業であろうと、諜報機関であろうと、あらゆる集団は二つの命題の間でバランスをとらなくてはならない。個人の知識をグローバルに、そして集合的に役立つ形で提供できるようにしながらも、その知識が確実に具体的でローカルであり続けるようにしなければならないのだ」 こういう仕組みを持っている組織がベストということだ。 第6章では社会について、第7章では調整することについて、第8章では科学、第9章では委員会や陪審といったもの、そして第10章で企業について書いている。 そこに分散性と集約のバランスという問題への答えらしきものがある。 「意思決定の権限が本当にひろく配分された状態というのは、どんなものだろうか。 まず、何か問題が起きた場合、できるだけ現場に近い人たちが意思決定を行うべきだ。フリードリッヒ・ハイエクは暗黙知ー経験からしか生まれない知識ーが市場の効率性に必要不可欠だと喝破した。暗黙知は曽々木の効率性にも同じくらい必要不可欠だ。 企業のトップから下に権限を渡そうとする計画は、多くの企業でよく議論されてはいるけれど、本当の意味で従業員が意思決定に参加している状態はきわめて珍しい現象にとどまっている。しかし、分散化が役に立つことを示す証拠は数多く存在していて、この本で取り上げている実験結果だけでなく、世界中の企業の実践事例からも証拠が得られている。 分散化のメリットは二つある。まず、責任が多く与えられれば、人々の関与度も高くなる。ある調査で二つのグループがそれぞれ部屋に集まってクイズを解き、大きな声で文章を読み上げながら構成をするという課題を与えられた。課題に取り組んでいる間、時折何の脈絡もなく大きな音が鳴るようになっていた。 一方のグループには何もなかったが、もう一方はバックグラウンドの音が消せるスイッチが与えられていた。最初のグループと比べて二つめのグループのクイズ回答数は五倍で、校正ミスもはるかに少なかった。だが、二つ目のグループは一度も音を消せるスイッチを押さなかった。スイッチが押せるとわかっているだけで充分だったのだ。 ほかの実験結果や実践事例にも同じような現象が見られる。自分の働く環境に関して意思決定できる権限を人々に与えると、業績が目に見えて改善するケースが多い。」 「分散化の第二のメリットは、調整のしやすさである。命令したり脅したりする代わりに従業員自身がもっと効率的に業務を行う新しい方法を発見してくれる可能性が高い。監督の必要性や取引のコストを減らし、管理職はほかのことに関心を振り分けられる。 それに対して分散化の批判として、従業員や現場の管理職に周辺環境をコントロールできる権限を与えても、結局重要な事柄を判断する権限は経営トップの手に残るというものがある。この観点に立って言えば、従業員は見せかけの権限委譲にだまされているだけだ。トップダウンの権力構造はあらゆる企業のDNAに組み入れられているので、それをなくそうという努力自体が不毛なのだ。 まあ、そうかもしれない。誰を解雇するなんていう問題に関して、権限を委譲する余地はほとんどない。だが、このような場合を除いて考えた場合、企業が本質的に階層的でトップダウンのDNAを持った生き物だという見解はあまりに図式的に思える。ほかの組織や集団と同じように、企業もさまざまな問題を解決しなければならない。本書を通じて見てきたように、集団は分散化されたソリューションを使って、調整や協力の問題を驚くほど上手に解決できる。 もしかすると、もっと重要な点として指摘すべきは、問題の解決に必要な知識は往々にしてその問題に直面している従業員の頭に中にあるのであって、彼らの上司の頭の中にはないという現実かもしれない。だから、従業員に問題を解決する権限を与えるべきなのである。」 「企業は仮に分散化に潜在的なメリットがあると認めても、ボトムアップ型のアプローチが認知の問題を解決するのに役立つかもしれないという意識まではなかなか持てない。認知の問題には企業の戦略や戦術の決定、新しく開発する商品の決定、新しい工場の建設、需要予測、価格設定、買収の検討といったこと全てが含まれる。こうした問題に対する最終的な答えを出すのは、CEOというたった一人の人物である場合が多い。しかし、本書を通じて主張してきたように、こうした問題こそみんなの意見に基づいて解決されるべきなのである。」 「成功が絶対に保証されている意思決定システムなどない。企業が下さなければいけない戦略上の判断は、うんざりするような複雑さを伴っている。同時に、複雑で不確実な現実に直面する一人の個人に大きな権限を与えれば与えるほど、まずい判断をしやすくなることもわかっている。だからこそ、企業における認知の問題を解決するためには、組織のヒエラルヒーを超えて発想すべきなのである。」 ぼくのいた会社では、「現地現物」を大事にしていたが、意思決定に関しても現場を離れてはいけない、ということだろう。 「現地現物」というようなスローガンだけでなく、どこまで実効性を持って現場に権限を任せたり、意思決定に際して現場の意見を率直に聞けるかといったことが大事だろう。 そういう気持ちを中間管理職がちゃんと持っているかどうか、日頃から風通しのよい関係を持っているかどうかなどに依存する。 ルールというよりも、日本的だが組織の中の個人の意識の問題だと思う。 つまり、現場に任せきってしまってもいけないし、現場の意見を聞かないで決めてもいけない。 やっぱりバランスの問題になる。 決定的な解決策はない。 古い人から順に新しい人たちに意識が伝承されていないといけない。 組織における権限委譲の問題は、結局「風土」の問題だと思う。 第11章では市場、第12章で民主主義というテーマだ。 民主主義こそ、「みんなの意見は案外正しい」という言葉そのものを信じるものだと思う。 「民主主義が存在するのは、政治への参画意識や自分たちの人生をコントロールできるという感覚を人々に与えることにより、社会的安定をもたらすためだろうか。それとも個人が自らを治める権利があるからだろうかーたとえ人々がろくでもないことにその権利を行使するとしても。あるいは民主主義が賢明な判断を下し、真実を発見する優れた手段だからなのだろうか。」 今のアメリカの大統領選挙を見ていても、今の日本の政治を見ていても、なかなか難しいと思う。 アメリカでは一般の人々が民主党のヒラリーも、共和党のトランプも、どちらの候補も嫌っている人が多いという。 また日本では年金や医療の問題を先送りし、右から左まで政治家が票欲しさに高齢者よりの政策しかやらない。 そういう意味では民主主義が機能不全に陥っているように見える。 しかし、それでも政治家は公選される方がいいのだろう。 この本は以下の言葉で締めくくられる。 「健全な民主主義は、社会契約の基礎である歩み寄りという美徳、それに変化という美徳をもたらす。民主主義の下に生まれたみんなの意見に集団の知恵が現れないこともある。けれど、民主的にみんなの意見を聞くということに集団の知恵が現れているのである。」 この本は2004年に書かれた。 著者のスロウィッツキーはニューヨーカーの金融ページのコラムニスト。 原題は"THE WISDOM OF CROUWS"。 「みんなの意見」は案外正しい、というタイトルはなかなか上手だ。 アメリカという国はいろんな人種がいる。 そういう国で何かを決めていくのは、どうやったらいいのかと考えることが多いんだろう。 こういう組織論は日本ではあまり見ない。 アメリカの多様性と日本人のそれとはだいぶ違うだろう。 アメリカのほうが日本の何倍も多様だと思う。 それはいいことなのだ、というのがこの本のメッセージ。 そういう肯定的なところが、アメリカの強さでもある。 それは真実だ。 いい本だった。 |
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