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2016.09.18 Sunday
高齢者のトートロジー
トートロジーとはA=Aというように絶対に正しい命題のことだ。
単純なのは、イヌはイヌだ、というようなもの。 そんなの当たり前、と思うのだが意外によく使われる。 元気な年寄りを見ていると、そのトートロジーを感じてしまう。 仕事が休みの時に、平日午前中にスポーツジムに行くことがあるが、来ている人たちはほとんど高齢者。 ジムに来るくらいだから元気だ。 ロッカーが近くのおじさんたちは、たいがいはもう仕事していない年齢。 でも、元気だからジムに来ている。 午前中にマシンで歩いて、筋トレをして、人によってはフィットネスのクラスに出て、お風呂に入って帰る。 女性陣と違って、あまりみんなで一緒に昼ごはんを食べるとか、仲良くなるとかいうことはしない。 ロッカーやジムで一言、二言会話をする程度。 男性の平均寿命が女性より短いのは、こういう行動様式にも原因があるんだろうと思う。 そういうぼくも、ジム友達などいない。 昭和の男性はそういう価値観で生きている。 前にも同じようなことを書いたが、こないだロッカーで「腹減ったなあ。なんで腹減るんやろなあ」という声を聞いた。 誰かが「そら、生きとったら減るで」と応える。 「そうやなあ、生きとったら減るわなあ。なんで生きとるんやろなあ」と言う。 「そら、生きとるから生きとるんやろ」と応える。 これがトートロジー。 「生きているから、生きている」 論理的に言うと、AだからAだ、といっているので意味が無いとされる。 でも、このトートロジーには深い感慨がある。 方丈記の無常観に通じるものがあると思う。 「生きているから生きている」という無常。 世の中、何も確かなものはないが、生きているものは必ず死ぬというのが無常観だが、それを反意的に表しているんだと思う。 それはそれで悪いこととは言えない。 少しでも長く元気でいて、家族に迷惑をかけずにいたい、という思いだろう。 でも、そういうことを思ってしまう晩年というのはどうなんだろうと思う。 本当の無常を味わうのはもっと後でもいいのではないか。 まだ元気なら、働かないと。 その機会を奪っているのは年金制度と定年制度。 そこが問題になってくる。 早く改革しないと間に合わないぞ。 |
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