考えたこと2

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一期一会
昨日は神戸で昔の仲間と飲み会だった。

一つの区切りをつけて、会社をやめたのが5年前。
まる25年の会社生活。
2004年の3月31日でやめた。

やめて5年たって、ようやく会社生活とは何だったのか、ちょっとわかるようになった。
勤めている間はわからないこともある。
外から見て、わかることもあるのだ。

今日その当時のメモを見返していたら、こんな事が書いてあった。

Uさんにメールをもらって、その返事を書いている。
3月30日のメール。やめる2日前だ。

 Uさんにも言っておいてあげます。
 いざ辞めるときが近づいても、おそらく全く気持ちとしてわからないと思います。
 本当に、31日、ロッカーで着替えて、会社を出て、初めて、あ〜おわったんやと思うような気がします。
 2日前でもまだわからないのです。
 そういうものですよ。
 辞めるときが近づいたら、この言葉を思い出してください。

実際には、辞めてからもまだわからない。
本当の意味というのは、数年経たないとわからないだろう。
ぼくの会社生活とは、何だったのか?ということ。
何かをもらって、何かを与えて、何かをして、何かをしなかった。
誰かと一緒に働き、話し、笑い、ぼやき、励ましあって時間を過ごした。
会社のことを考え、自分のことを考え、仲間のことを考え、製品のことを考え、そして仕事をした。
その時間が25年。

昨日は久しぶりに会って、楽しかった。
バカな話しをして、笑いあう。

会社の人の話が出てくるが、半分くらいはわかる。
ボヤキを久しぶりに聞く。

話していると、昔いた事務所を思い出して、なつかしい。
実際には、もう今はないのだが…。

でも、覚えておいてくれる人がいるのは本当にうれしい。

人生は一期一会。

この言葉の意味が、よくわかるようになった。



| | 考えたこと | 21:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
無限の可能性
若い人に、無限の可能性がある、というようなことをいうが、これはどれくらいの年までいうのだろうか?

「無限の可能性」というのは言葉のあやで、有限であることはわかっているとしてもだ。

たぶん「無限」の範囲が問題になるだろう。

実質的には高校生くらいまでだろう。
この場合の無限というのは、文字通り無限だ。
頑張れば、何にでもなれる。
あるいは、その道で一流になれる。
無限の可能性、というよりも、無限の希望がある、あるいは無限の希望が持てるといった方がいいかもしれない。

大学生にも、無限の可能性という時はあるが、ここまで来てしまうと、無限の意味はかなり限定的になる。
頑張って精進すれば、夢は叶う…、というような意味だろう。

新入社員になると、もっと限定される。
無限の可能性…、というとすれば、その会社で社長になれるかもしれない、という程度の無限だ。

年を取るとともに、当たり前だが、範囲が限定されてくる。

それはそれでいいことだ。

あんまり年をとって、まだ無限の可能性が…、などといわれると困る。
今までの自分を否定されているような気になるからだ。

何かを成し遂げたという気持ちがあれば、そんなに可能性はなくてもいい。

そんな風に年をとっていきたいものだ。

どこかで折れて、納得する。
納得せざるを得ない。

それが、人生というものかもしれない。




| | 考えたこと | 00:50 | comments(0) | trackbacks(0) |