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2024.02.04 Sunday
知識の軽視
新しい教育などという事を考えている教育関係者は、これからは知識の時代ではない、という。
検索ツールや人工知能が発達して、知識よりも分析や評価、創造といった力が大事になる、という論調。 昔なら1日がかり、いや何日もかけて調べないとわからないようなことが、スマホで検索すればすぐにわかってしまう。 だから、知識をつけるということの優先度は下がるという。 そんなはずはない。 そもそも知識がなければ、問題意識も持てないし、考えることもできない。 その場で検索して知った知識を元に考えても、浅いことしか出てこない。 知識があるからこそ、問題意識が持てる。 この「問題意識の深さ」が一番大事なのだと思う。 だから、検索してすぐわかるようになっても、知識を持つというのは大事なことなのだ。 すぐにわかるようになったのなら、それだけたくさん知識を持てるようになる、ということならわかるが…。 何度か書いたはずだと思って見たら、暗記することや、知識が必要などで書いていた。 どうして教育関係の人たちは「知識」を軽視するのだろうか。 昔、「詰め込み教育」を批判したときも、わけもなく知識の詰め込みすぎは良くない、と言っていた。 知識を持つことはそんなに軽視すべきことなのだろうか。 知識は考えるための基礎なのだと思う。 英語であれば単語だ。 単語の記憶量が少なくて、英文を読む時にいちいち単語を調べていては、恐ろしく効率が悪い。 文章を深く読むこともかなわない。 そういうことから、知識を簡単に得ることができるようになったら、それだけたくさん知識をつけるべきだ、と考えないのだろうか。 知識があるからこそ、分析や評価、創造などが可能になるのだ。 その場で得た知識だけでは表面的なことしかできない。 教育学に関わる人たちは、なぜ知識を軽視するのか、調べてみるとこのページがヒットした。 まさに、そういうことが起こっている。 教育者の役割は、知識をつけないと困るということを教えることが第一だろう。 それがしんどいから、手抜きをしているとしか思えない。 知識は大事なのだ。 |
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