考えたこと2

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芳沢光雄先生
芳沢光雄という数学者がいる。
仕事に役立つ数学というような本を書いていて、一度感想を送ったことがある。
丁寧な返事をメールでもらって、うれしかった。

この人、日本の学生の数学リテラシーに問題意識を持っていて、いろいろと活動されている。
エライなあと思う。

その芳沢先生が記事を書いている。
政府の教育未来創造会議が理系分野を専攻する大学生の割合を35%から50%に増やすという目標を掲げたが、日本の青少年の数学嫌いが高止まりしており、これを解決しないとだめだ、というのが目的。

現在GDPが1位のアメリカは1980年代から数学を重視しており、97年には教育省が「数学により広がる将来のチャンス」ということを発表し、数学の学びの意義を訴えたという。
それに比して日本はこの時期、「これからは文化だ」ということで「ゆとり教育」に突入した。
これが失敗だった。

この時期、文科省は数学の授業を削減し、中学の授業は週3時間で世界でも最低レベルになった。
記事には、

「驚いたのは、その3割削減した内容が、当初は「ゆとり教育」の「上限」であったことである。90年代後半には、数学の授業時間数が今後減ることで、いくつかの県では高校の数学教員がゼロ採用になったばかりでなく、「数学の教員はもはや役に立たない。教員室でのあなたの机はない。家庭科の教員免許を取ったら残してあげる」、などと校長から肩叩きされた優秀な数学教員が何人もいたのである。

このような状況を「日本版文化大革命」と捉えた筆者は、その流れを改めさせるために軸足を数学教育に移し、行動を起こした。著書・雑誌・新聞などの活字によって数学の意義を訴えたほか、「数学嫌い」を減らすことが重要と考えて、90年代後半からは全国の小中高校に数学の面白さを伝える出前授業も積極的に開始した(半分は手弁当)。」

とある。

昔は「読み書きそろばん」と言われたくらい、読み書き(国語)とそろばん(数学)は大事だった。
その伝統を無視した結果が現在につながっている。
ぼくの邪推では、文系の大学ばかり増えて、教職免許取得者の科目が社会系に偏ったので、その教員たちを使うために文系の授業を増やしたのだろうと思う。

芳沢先生は、この状況に危機感を持ち、いろいろと活動して一部の方針は見直されたとのこと。
先生の指摘している問題はぼくも感じる。
今の文系大学の学生の数学リテラシーは本当に低い。

その原因は、速度の計算に「は・じ・き」という図を使って、手順だけを教えるというやり方に代表される「意味の無視」だ。
速度の問題の基本は、「速度はある時間に進んだ距離だ」ということ。
それさえ理解できればわかるはずなのに、速度は「は・じ・き」というやり方が蔓延している。
さらに、それを定着させるためのドリルも足りないのだろう。

そもそも小学校、中学校の先生自体が、算数・数学を避けてきた人たちだろうと思う。
小学校の教員を育てる教育学部の入試が、文系私学だと数学なしの1,2科目で、推薦やAOで半分以上取っている現状では、希望は持てない。
中学校も大事だが、小学校は基礎なので「数学嫌い」を生み出さないためには、初等教育を何とかしないといけないと思う。

芳沢先生は日本の「数学嫌い」をなくすべく奔走しておられる。

本当に頭が下がる。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:55 | comments(0) | trackbacks(0) |