考えたこと2

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2008/5/22のメモ
こないだの続き。
2008/5/22のメモも出てきた。

その年はキャリアの仕事の2年目。
教員が嫌う、序列化という話題。
小中学校の統一学力テストの事を書いているのだと思う。

ぼくの勤務先には、学生には序列をつけるのに、自分たちが序列を付けられるのは嫌う教員が多かった。
ついでに、それをぼやいたメモだろう。
以下にそのまま記す。
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勝ち負け

勝ち負けはわかりやすい。

だから、スポーツが好まれるのだと思う。
得点で競ったり、タイムで競ったり…。
大のオトナがスタンドで見ていて、勝ち負けでケンカまでするくらい、熱中する。

柔道はわかりにくくなった。
有効とか、指導とか…。

審美的なものもわかりにくい。
フィギアスケートなどは、その一つ。
だから、ジャンプの回転数が競われるのか。

仕事でいうと、売り上げとか、新規顧客の獲得数とか、クレームの数とか、数字になるものは、勝ち負けがハッキリする。(これも、対外的にはごまかしもあるのだが…)

結局のところ、社会に出たら、勝ち負けで判断されることがほとんどだ。

たとえ数字にならなくても、誰がどれだけの仕事をしたかは、ある程度経験的な確かさをもって判定される。
平等ではない。それは当たり前だ。

一方で、今は小学校で勝ち負けをハッキリさせるのがよくないということで、タイムを計って、似たようなタイムの子どもにかけっこをさせる時代。

どのセンセイがどれだけよく教えたか…というようなことも判断されない。

学校の中は、驚くほど平等だ。

でも、そんなセンセイが内申書を書く。
今は相対評価から絶対評価になったりしているが、それでも内申書は平等ではあり得ない。

統一テストなどをやると、序列化が起こる…というのが決まり文句。
序列化というのは、まさに勝ち負けのことだ。
それはイケナイという。

人生は選択の連続だ。
とり得る道はいくつかあっても、一つしか選べない。
やり直しもきかない。
時間の流れの中で、あることを選択し、あることは選択しないというのが、生きるということだろう。
そして、何かを選択することというのは、多くの場合序列化していることだ。
一番を選ぶのか、二番を選ぶのかは別だし、何を基準に序列化するかは別しても…。

生きることの根幹の部分を否定してはイケナイと思う。

その中に浸っている人たちはよいが、そこから出ていかないといけない人たちはかわいそうだ。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
四十九日法要
昨日は1週間遅れで母の四十九日の法要。
コルセットをして、膝にサポーターをつけて車に乗って葬儀のときに来てくれたお寺に行った。
お寺に行くほうがお布施が安い。

住職が対応してくれたのだが、この人は本山でもトップクラスの布教者だという。
本山から派遣されて、年間100日くらいはいろんなところを回っているらしい。
この寺は、けっこう本堂が立派なのだが、御本尊を修復しないといけない。
それに800万円ほどかかるとのことで、それを集めるというのも自身のミッションなのだろう。
法要の焼香の横に賽銭箱も置いてあった。
こんなの初めてだった。

布教が専門ということで、お経はやはり下手だ。
読み慣れていないのだろう。
読経の声ではないという感じ。
今後はどうしようかなと思う。

ぼくの代までは、一応仏事はやってもいいかなと思う。
数少ない親戚(といっても弟の家族のみだが)が集まるきっかけのようなものだ。
だから、1周忌もやろうと思う。

アマゾンで買った小さな仏壇が父母の住処になる。
不本意かもしれないが、時代の流れと割り切ってもらおう。

問題は墓だ。
霊園に墓があるのだが、ここに母の遺骨を入れるか、それとも墓じまいしてどこか行きやすいところに永代供養するか…。
母は父が建てた墓に詣っていたし、母も入りたいと思っていたとも思う。

父は広島まで行って、戦死した父の父の墓から土を持って帰って、神戸に墓を建てた。
幼くして亡くなった父の弟と母も入っている。
そこに入るべく、たしか赤い字で母の名前もあったような気がする。

母は古典が好きで、仏教のこともよく知っていた。
あの世を信じていたとは思わないが、そういう思想が現世で生きるためには必要だくらいは思っていたと思う。
昨日来た83歳の母の妹は、あの世に行ったら会いたい人がたくさんいて、話がしたいと言っていた。
そういうことを思うことで、死ぬ楽しみができるということだ。

話がそれた。
うちの息子たちは東京であまり帰ってきそうにないし、あんなところに墓があったらおそらく賃借料を払わずに処分されそうな気がするから、今のうちに何とかしたいと思う。

もうしばらくは遺骨は仏壇の中に入れておいて、どうするか考えよう。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 11:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
ペーハー
phという科学の単位で、7より小さいと酸性、大きいとアルカリ性を表すもの。
ペーハーと読むのが普通だと思っていた。
ドイツ語読みだそうだ。

今日ネットを見ていたらphをピーエイチと読むのが現代の読み方と書いてあった。
ピーエイチでは何となく値打ちがない。

その他にも教科書で変わっているものが書いてあった。
鎌倉幕府の成立は1192年だったが、今は1185年だ。
「いい国作ろう鎌倉幕府」という語呂合わせは意味がなくなった。

仁徳天皇陵は大仙陵古墳だし、江戸時代の身分制度の士農工商は教科書では習わない。
日本初の貨幣は和同開珎だったが、今は富本銭という。
世界最古の人類はアウストラロピテクスだったが、今はサヘラントロプス・チャキデンシス。
四大工業地帯は一つ減って三大工業地帯になった。
京浜、中京、阪神になって、北九州は消えてしまった。
太陽系の惑星の数は9個だったが、8個に減った。冥王星は惑星から外された。
松尾芭蕉の奥の細道は、「おくのほそ道」になった。
なんで道だけ残ったのかは不明。
英語で自己紹介するときは「My neme is…」と習ったが、今は「I am…」というらしい。

息子に聞いたら、ペーハーとは言わずピーエイチと習ったとのこと。
Vはボルト、Aはアンペア、mはメートルという通例だから、phをピーエイチというのはちょっとなあ。
いろんなことが、変わっていく。
過去のことさえ、解釈が変わったり、新しい事実が発見されたりすると変わる。

そういえば、うちの父は「the」を」「テヘ」と習ったと言っていた。
教師も読み方が分からなかったのだろう。
戦前か、戦後すぐの話だったと思う。

前にも書いたが、卒業式の定番だった「仰げば尊し」の「今こそわかれめ」など、「分かれ目」だとずっと思っていた。
これが係り結びhttp://hdsnght1957kgkt.blog.bai.ne.jp/?eid=233087で「こそ〜め」になって、「別れむ」が「別れめ」に強調されているというのが本当。
今は別れよう、という意味だった。

もう歌われなくなって久しいから、この歌も消えてなくなる運命だろう。
でも、この歌詞で「係り結び」というものが実感できた。
もう47歳になっていたが…。

でも、高校の科目が増え、古典は習わな人が増えた。
入試で古典をなくす大学も多い。
しかし、古典は習うべきだと思う。
歴史も地理も経済も倫理も大事だが、それらの時間を削ってでも古典を必修にしたらいい。

話がそれた。

歌は世に連れ、世は歌につれというが、教科書も世に連れて変わっていく。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 08:44 | comments(0) | trackbacks(0) |