考えたこと2

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認知症と仕事
認知症の高齢者がカーディーラーで洗車の仕事をして、謝礼(給料ではない)をもらう、ということをやっているところがあるらしい。
NPOの介護施設で、そういう事をやっているのだ。
具体的には地域密着型通所介護のデイサービスで、認知症と診断された人が、施設で行うレクリエーションに「仕事」を取り入れているとのこと。

興味深いのは、その施設に来たときには精神的に不安定で、口数も少なかった人が、笑顔を取り戻したこと。
仕事を取り入れることで、無表情だった人が笑顔になる、という。

この施設は仕事の報酬をもらっているわけではない。
厚労省からデイサービスの免許をもらっているのだから、その利用者に仕事はさせられない。
だから、厚労省に何度も足を運び、「2011年から介護保険制度でサービスを利用する人が仕事をすること、および、活動による謝礼を受け取ることが認められるようになった」とのこと。
今は仕事をした報酬は、地域の最低賃金を超えない額で、直接利用者に謝礼を渡される。

洗車のメンバーで、4年目になる人は当初気分の波が激しく、怒ったり落ち込んだりしていたが、今は大笑いすることも多くなり、今は「認知症になってもこわくないよ」というまでになったとのこと。

厚労省に足を運んで、そういうサービスもありにさせた人はエライと思う。
仕事をして誰かのためになることは、やりがいにもつながるし、それが笑顔を生むのは自然なこと。
こういう介護サービスはいいと思う。

認知症という病気はあるが、まだ原因がわかっていない。
脳の中のナントカという物質が増えるとダメだとか、原因を調べているが、今のところはっきりとした因果関係はまだわからない。
認知症になった人は脳のナントカが増えているが、なってない人で増えている人もいる、ということだ。

こういう事例を見るにつけ、認知症には外部要因もあるんだと思う。
人間は関係の中で生きているから、それがなくなるとおかしくなるんだろう。
人間関係の質とか量が関係しているのではないか。

若い頃にたくさんの関係の中で生きていて、それが急に減ったりすると悪いのではないか。
もともと少ない関係の中で生きている人は、なりにくいとかあるかもしれない。
ペットを飼うのもいいとか、ありそうだ。
その意味では、AIを使った話し相手のロボットなど有望だと思う。

認知症患者のヒストリーを調べて、関係の増減を見てみたら、なにかわからないのだろうか。
医者に任せていたら、器質的なことばかり調べて、大事なところが忘れられるような気がする。

こここそ、社会学者の出番ではないか。


| | 考えたこと | 23:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
統計リテラシー
統計リテラシーを持たないと、実際に生活する上で困る。
平均、最大、最小、中央値、分布というような概念。
さらに、バラつきまでいくといろんなことがわかると思う。

最近はメディアの記事を見ていても、編集者も含めてこの記事を書いた人は統計のリテラシーがあるんだろうか、と思うことが多い。
だからこそ、リテラシーがないとだまされる。

今の日本、増えた高齢者は問題になりがちだ。
切れやすいとか、事故が多いとか、高齢者はこうなる、という断定の記事も中にはある。
たいがい、そういう記事には高齢者のデータは載っているが、そこに高齢者の人口比率は出ていない。
今は昔と違って、高齢者の人数は増えているのだ。
だから、何かの事象に当てはまる人数は多くて当たり前。
その両方の数字を入れて、記事は書くべきなのだ。

テレビでいえば、コメンテーターという役割の人が増えた。
そういう人は、大衆の代表みたいになっており、「ホントにそうだ!」というばかりのように見える。
だいたい、コメンテーターというのは、お笑い芸人であったり、単なる歌手であったり、分けのわからないタレント?だったりする。
ワイドショーなどは、出演者のコストを下げるために、ずっと同じ人が座っている。
そんな人にニュースをコメントされても、聞く値打ちがない。
あんな番組を昼間ずっと垂れ流すくらいなら、昔のドラマでも再放送するべきなのだ。

マスコミ自体、そういうウソのニュースを流しているという気持ちがない。
表面だけ見て、「これはこうだ」と断定して放送しているように見える。

精神科医の和田秀樹が高齢者の免許の問題について書いていた。
それによると、アクセルとブレーキの区別がつかなくなったような認知症の患者なら、そもそも車を動かすのにキーを使うということもわからないそうだ。
つまり、認知症=事故と考えるのは妥当ではない、という専門家もいるということになる。

人は何かの判断をするときには、正ー反の2つの意見が必要だろう。
その両方の意見を聞いて、どちらかを考えるというのが通常の判断のプロセスになる。
今のマスコミを見ていると、どちらか一方しか報道しないことが多い。
もちろん、事実は一つであり、それを報道するのは本来の姿だが、それに付随した判断も同時に報道していることがある。
例えば、人を殺したらダメ、というように、その判断が自明な場合はいいのだが、そうでないケースも多い。
どう考えても、マスコミが勝手に判断していると思う。

賢いマスコミならそれでいいが、バカなマスコミの場合、そんなことをされたらおかしくなる。
それは、日本が戦前戦争に突っ走っていった時のマスコミの行動だ。
それを自分たちが進んでやったという歴史を、マスコミはもっと認識すべきだ。

そうしないと、またやってしまうぞ。

| | 考えたこと | 00:39 | comments(0) | trackbacks(0) |