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2017.05.26 Friday
統計リテラシー
統計リテラシーを持たないと、実際に生活する上で困る。
平均、最大、最小、中央値、分布というような概念。 さらに、バラつきまでいくといろんなことがわかると思う。 最近はメディアの記事を見ていても、編集者も含めてこの記事を書いた人は統計のリテラシーがあるんだろうか、と思うことが多い。 だからこそ、リテラシーがないとだまされる。 今の日本、増えた高齢者は問題になりがちだ。 切れやすいとか、事故が多いとか、高齢者はこうなる、という断定の記事も中にはある。 たいがい、そういう記事には高齢者のデータは載っているが、そこに高齢者の人口比率は出ていない。 今は昔と違って、高齢者の人数は増えているのだ。 だから、何かの事象に当てはまる人数は多くて当たり前。 その両方の数字を入れて、記事は書くべきなのだ。 テレビでいえば、コメンテーターという役割の人が増えた。 そういう人は、大衆の代表みたいになっており、「ホントにそうだ!」というばかりのように見える。 だいたい、コメンテーターというのは、お笑い芸人であったり、単なる歌手であったり、分けのわからないタレント?だったりする。 ワイドショーなどは、出演者のコストを下げるために、ずっと同じ人が座っている。 そんな人にニュースをコメントされても、聞く値打ちがない。 あんな番組を昼間ずっと垂れ流すくらいなら、昔のドラマでも再放送するべきなのだ。 マスコミ自体、そういうウソのニュースを流しているという気持ちがない。 表面だけ見て、「これはこうだ」と断定して放送しているように見える。 精神科医の和田秀樹が高齢者の免許の問題について書いていた。 それによると、アクセルとブレーキの区別がつかなくなったような認知症の患者なら、そもそも車を動かすのにキーを使うということもわからないそうだ。 つまり、認知症=事故と考えるのは妥当ではない、という専門家もいるということになる。 人は何かの判断をするときには、正ー反の2つの意見が必要だろう。 その両方の意見を聞いて、どちらかを考えるというのが通常の判断のプロセスになる。 今のマスコミを見ていると、どちらか一方しか報道しないことが多い。 もちろん、事実は一つであり、それを報道するのは本来の姿だが、それに付随した判断も同時に報道していることがある。 例えば、人を殺したらダメ、というように、その判断が自明な場合はいいのだが、そうでないケースも多い。 どう考えても、マスコミが勝手に判断していると思う。 賢いマスコミならそれでいいが、バカなマスコミの場合、そんなことをされたらおかしくなる。 それは、日本が戦前戦争に突っ走っていった時のマスコミの行動だ。 それを自分たちが進んでやったという歴史を、マスコミはもっと認識すべきだ。 そうしないと、またやってしまうぞ。 |
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