考えたこと2

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寅さんのハガキ
「男はつらいよ」は松竹が作った大衆娯楽作品だが、今見ると当時の日本の文化がしのばれる場面がよくある。
なかでも、寅次郎がマドンナにふられ、旅に出たあとにマドンナに出すハガキは、いつも作品の最後を締めくくるものだ。
その内容はいつも同じようなもの。

味わいのある悪筆で、こんな内容が書いてある。
どういうわけか、文語調だ。
当時の極道の教養なのかもしれない。

拝啓 その後お変わりございませんか。柴又にありし時を思いおこせば恥ずかしきことの数々、今はただ反省の日々をすごしておりますれば、あなた様にもどうかお許しのほど、お願ひ申し上げます。なほ、柴又におります私の妹さくら、年老いた伯父伯母、いずれもかけがいのない肉親でございますれば、何卒ご指導ご鞭撻のほど、ひれふしてお願ひ申し上げます。末筆ながら旅先からご多幸を心からお祈り申し上げます。  車寅次郎拝

この映画は1995年に48作目を撮って、その後主役の渥美清が亡くなって終わった。
95年というと、まだまだパソコンの普及前で、メールや掲示板というものが一部のマニアのものだった頃だ。
もちろん、当時はFAXも携帯電話も普及率が10%以下。
だから、まだまだハガキが通信手段として使われていた。

自分の年令でいうと、40歳になる前だ。
ぼくらの世代は結果的に、アナログからデジタルに変わっていく、その現場を見ることができたことになる。
といっても、自分が95年当時、どんなことをしていたかは忘れてしまったが…。
このころはまだ会社の技術部には、一人一台のパソコンなどなかった。
95年当時から、2000年代の初頭がパソコン化が大きな企業で進んだ時期だ。

その直前に、「男はつらいよ」シリーズは終わった。

おかげで「男はつらいよ」でハガキから、メールや携帯、そして今のスマホに至る時代を見ずに済んだ。
渥美清の死期が偶然その時期にあたったということだ。
言い方はよくないが、それは幸せなことだったのかもしれない。
今の、ラインなどを使ってやりとりし、それがイジメにつながるというような時代は、寅さんには似合わない。

ぼく自身、そんなに筆まめな方でもなかったし、ハガキといえば年賀状を出すくらいだったから、ハガキに思い入れがあるわけではない。
それでも、あのハガキをもらったマドンナは、生涯それを大事に思い出として取っておくだろうと思う。
メールではなく、形のあるものが届くことはいいものだ。

そんなハガキを何度も書いた寅次郎は、やはり世の男性のあこがれだと思う。



| | 考えたこと | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
音を合わせること
ぼくはあまり誰かと一緒に楽器を弾いたことがない。
でも、CDなどに合わせてギターを弾くことはよくあるので、人に合わせることはできると思う。
この合奏が合うというのはどういうことか、という記事を読むと、これは結構大変なことなのだということがわかった。

音楽を聞いていて、ちゃんと合っていると感じるのは、ズレが数十ミリ秒でないとダメらしい。
つまり、百ミリ秒=0.1秒狂うと、もうズレていると感じるのだ。
また、出だしのところではもっと感度が高くなるとのこと。

二人や三人ならともかく、たくさんの人がこの精度で音を出すというのは、結構厳しいと思う。
0.05秒以下という感じだから、普段意識するスケールの時間ではない。
これが小学生の合奏などのレベルでも合うのだから、人間の持っているリズム感は本能としてあるんだろう。
息が合う、というのは素晴らしいことだ。

またメロディは伴奏よりもちょっと(1/1000秒のオーダー)早くしたほうが際立つし、ジャズのグルーブはベースとドラムのほんの少しのズレが生み出すとも言われている。
たしかに、"Danny boy"などの単純なメロディでゆっくりした曲でも、グルーブ感のある演奏ができるのは、そういう感触を持ったプレイヤーがやるからだろう。
ああいうゆっくりした曲で、グルーブ感を出すのはかえって難しい。

実際、同じ演奏でも、すごく陳腐に聞こえるものもあれば、ゆったりしているが、素晴らしいグルーブ感があるものもある。
以前、谷村新司の「昴」の演奏を聴いたことがあるが、あれもグルーブ感を出すのが難しい曲だ。
単にギターで一つずつ音を出す、アルペジオというスタイルだったが、何ともいえずちぐはぐな感じがする演奏だった。
ギター1本と歌でも、グルーブ感が出せたり出せなかったりする。
これも不思議だが、分析すれば答えは出るんだろう。

普段人間が意識することのないスケールの時間で「合奏」が完成しているということと、それを意識しないでできてしまうということが、人間の素晴らしさだろう。
だからこそ、人は音楽を聴いて感動する。
そのもっともプリミティブなところは、きっと人の意識を超えた時間にある。

合奏は奥が深い。
人と一緒に演奏して、自分でも「合っている」と思えるときは快感なんだろう。

だから、音楽はやめれらない。


| | 考えたこと | 01:00 | comments(0) | trackbacks(0) |