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2017.05.21 Sunday
寅さんのハガキ
「男はつらいよ」は松竹が作った大衆娯楽作品だが、今見ると当時の日本の文化がしのばれる場面がよくある。
なかでも、寅次郎がマドンナにふられ、旅に出たあとにマドンナに出すハガキは、いつも作品の最後を締めくくるものだ。 その内容はいつも同じようなもの。 味わいのある悪筆で、こんな内容が書いてある。 どういうわけか、文語調だ。 当時の極道の教養なのかもしれない。 拝啓 その後お変わりございませんか。柴又にありし時を思いおこせば恥ずかしきことの数々、今はただ反省の日々をすごしておりますれば、あなた様にもどうかお許しのほど、お願ひ申し上げます。なほ、柴又におります私の妹さくら、年老いた伯父伯母、いずれもかけがいのない肉親でございますれば、何卒ご指導ご鞭撻のほど、ひれふしてお願ひ申し上げます。末筆ながら旅先からご多幸を心からお祈り申し上げます。 車寅次郎拝 この映画は1995年に48作目を撮って、その後主役の渥美清が亡くなって終わった。 95年というと、まだまだパソコンの普及前で、メールや掲示板というものが一部のマニアのものだった頃だ。 もちろん、当時はFAXも携帯電話も普及率が10%以下。 だから、まだまだハガキが通信手段として使われていた。 自分の年令でいうと、40歳になる前だ。 ぼくらの世代は結果的に、アナログからデジタルに変わっていく、その現場を見ることができたことになる。 といっても、自分が95年当時、どんなことをしていたかは忘れてしまったが…。 このころはまだ会社の技術部には、一人一台のパソコンなどなかった。 95年当時から、2000年代の初頭がパソコン化が大きな企業で進んだ時期だ。 その直前に、「男はつらいよ」シリーズは終わった。 おかげで「男はつらいよ」でハガキから、メールや携帯、そして今のスマホに至る時代を見ずに済んだ。 渥美清の死期が偶然その時期にあたったということだ。 言い方はよくないが、それは幸せなことだったのかもしれない。 今の、ラインなどを使ってやりとりし、それがイジメにつながるというような時代は、寅さんには似合わない。 ぼく自身、そんなに筆まめな方でもなかったし、ハガキといえば年賀状を出すくらいだったから、ハガキに思い入れがあるわけではない。 それでも、あのハガキをもらったマドンナは、生涯それを大事に思い出として取っておくだろうと思う。 メールではなく、形のあるものが届くことはいいものだ。 そんなハガキを何度も書いた寅次郎は、やはり世の男性のあこがれだと思う。 |
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