考えたこと2

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死ぬ時に…
こないだ、若い人と話していて、なんで働くのかなあということ尋ねた。
ちょっと話して、食うためというのは当たり前ということになった。
じゃあ、何のためだろうか、という話になった。
彼は「うーん…、死ぬときに楽しかったなあと思えるようにかなあ」と言った。

そういう答えを聞いたのが初めてだったので、なるほどなあ、と言った。
実はぼくも同じように考えている。
いろんな理由はある。
働いていると、いろんな人に会えるとか、誰かの役に立つことができるとか、いろんな課題を知ることができるとか、目標が持てるとか、世界が広がるとか、能力がつくとか、種々の付属物がある。
働くのはそれらの付属物のためだ。
いや、付属物と言っているが、それらが目的なのかもしれない。

大昔、狩りや農業がみんなの仕事だった頃は「食うため」という目的がほとんどだっただろう。
しかし、時代を経て、それは変化したんだと思う。

「なぜ働くのか」という問いと、「なぜ生きるのか」という問いは同じようなものだ。
年をとって働くのをやめて、初めて「なぜ生きるのか」という問いに変わるのだろう。
とりあえず、働いている間は「なぜ働くのか」という問いになるということだ。

できれば、死ぬ時に思い出すいい瞬間が多ければいいと思う。
それでも、その瞬間を作ろうとして働いたり、生きたりするわけではない。
わかっているのだ。
結果的にそれが多くなれば、楽しかったと思える。

彼がどういう思いで言ったのかはわからないが、ぼくは死ぬ時にそういう瞬間があると思っている。
物理的には瞬間かもしれないが、感覚的にはけっこう長い時間のような気がする。

はたしてどの瞬間が思い出すべき瞬間なのか。

それはその時がくるまでわからない。

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