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2016.06.11 Saturday
死ぬ時に…
こないだ、若い人と話していて、なんで働くのかなあということ尋ねた。
ちょっと話して、食うためというのは当たり前ということになった。 じゃあ、何のためだろうか、という話になった。 彼は「うーん…、死ぬときに楽しかったなあと思えるようにかなあ」と言った。 そういう答えを聞いたのが初めてだったので、なるほどなあ、と言った。 実はぼくも同じように考えている。 いろんな理由はある。 働いていると、いろんな人に会えるとか、誰かの役に立つことができるとか、いろんな課題を知ることができるとか、目標が持てるとか、世界が広がるとか、能力がつくとか、種々の付属物がある。 働くのはそれらの付属物のためだ。 いや、付属物と言っているが、それらが目的なのかもしれない。 大昔、狩りや農業がみんなの仕事だった頃は「食うため」という目的がほとんどだっただろう。 しかし、時代を経て、それは変化したんだと思う。 「なぜ働くのか」という問いと、「なぜ生きるのか」という問いは同じようなものだ。 年をとって働くのをやめて、初めて「なぜ生きるのか」という問いに変わるのだろう。 とりあえず、働いている間は「なぜ働くのか」という問いになるということだ。 できれば、死ぬ時に思い出すいい瞬間が多ければいいと思う。 それでも、その瞬間を作ろうとして働いたり、生きたりするわけではない。 わかっているのだ。 結果的にそれが多くなれば、楽しかったと思える。 彼がどういう思いで言ったのかはわからないが、ぼくは死ぬ時にそういう瞬間があると思っている。 物理的には瞬間かもしれないが、感覚的にはけっこう長い時間のような気がする。 はたしてどの瞬間が思い出すべき瞬間なのか。 それはその時がくるまでわからない。 |
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