![]() |
2014.08.16 Saturday
趣味
今日、気になって「ギター」という言葉が入っているブログの記事はいくつあるのか、調べてみた。
全部で2821の記事のうち、「ギター」という言葉が入ってるのは190。全体の6.7%だった。 「音楽」が202だったから、7.2%。 まあ、妥当なところか、と納得した。 ぼくは無趣味な人間だと思っている。 若いころ、趣味を書く欄には、読書、ギター、落語と書いてきた。 学生時代、友だちがスキーに熱中したりしていても、行ったことがない。 あれは位置エネルギーの無駄遣いだと思う。 麻雀も熱中したが、向いていないとやめた。ギャンブルには適性がない。 本は人並みに読む程度。特に最近は活字をインターネットでたくさん読むようになって、本が減った。自分でも残念なのだが、どこかで変えないといけない。 ネット中毒になっているのだと思う。 落語はもう趣味とは言えなくなった。 最近はもっぱら漫才を聞くことが多い。 落語は、デビュー当時の仁鶴、襲名以降の枝雀で終わっている。 「お笑い」には興味があるのだが…。 最近のバラエティには閉口している。 あれは単にテレビ局が安い予算で番組を作っているだけで、もうお笑いとも言えない。 何というか、笑っているのではなく、つきあいで笑わされているのだろう。 そういう意味では細く長く続いているのがギター。 中学2年だから、14歳からずっと続いている。 かなり熱中して練習した時期もあったなあ。 でも、まだ趣味といえる程度には弾いていると思う。 ぼくはギターには助けられたと思っている。 単に家にあったから弾き始めたのだが、どういうわけか弾き始めた頃からフォークソングのブームが来て、猫も杓子もフォークギターを持って歩く時代になった。 中高の時代、家の近所の甲南大学の学生がたくさん持って歩いていた。 なかにはケースだけの人もいたのではないかと思うほど多かった。 中3から高校にかけて、友だちに教えたりしたこともあった。 弦が6本あって、指が5本しかないのに、どうやって6つも押さえるのか?という質問も受けたことがある。 一本の指で複数押さえたらいい、というだけの話だったが、当時のブームはそんな質問が出るほどの勢いだった。 あの当時、チューニングマシンがなかったから、音感の悪い人はギターはできなかった。 音が合わないからだ。 チューニングの仕方は教えられても、音の高さは音感だから、教えられない。 今のバンドブームというのは、実はチューニングマシンに負うところが大きいのではないかと思っている。 当時、ギターが弾けるというのはちょっとしたものだったと思う。 今でもギターを背負った(最近は背負うのが多い)学生を見かけるが、当時はもっと多かった。 ただし、フォークギターのケースを持って歩いていたのだが…。 人前で弾いたことは数度しかなかったが、それでも「ギターが弾ける自分」というのは「ありたい自分」だった。 心理学では「自己効力感」というらしい。 これが高いと、自我が安定するということになっている。 そういう意味で、ぼくの自我が安定するのをギターは手伝ってくれた。 そして、音楽にもちょっと詳しくなった。 学生時代は洋楽にも詳しかったと思う。 土曜日のポップスベストテンをチェックしたりしていた。 一貫して言えるのは「ウルサイ」音楽はダメだったこと。 ハードロックとか、メタルロックというのは全く興味がなかった。 それよりも、黒人のリズム・アンド・ブルースの方がよかったし、コーラスが好きだった。 ビートルズ、サイモン&ガーファンクル、5thディメンション、キャロル・キング、エルトン・ジョン、ビリー・ジョエルなど。 ビートルズのジョンとポールの三度のコーラスは見本だったなあ。単純だけどきれいだった。 今でも当時の曲が流れると、三度上のコーラスを歌ってしまう。 ギターもクリーンな音が好きだった。 学生時代は、エレキギターというとハードロック系の音だったが、そういうのは聞かず、もっぱら西海岸のシンガー・ソングライターあたりを聞いていた。 邦楽なら、ガロ、チューリップ、オフコース、ユーミン、ハイ・ファイ・セット、山下達郎、竹内まりやあたり。 もちろん、エレキだけではなく、アコースティックも好きだ。 ただ、弦を押さえるのがシンドくなってきた。 …こんなことも何度か書いているような気がする。 趣味というのは、商売にはならない。 好きでやっているということだから、お金は払う方だろう。 死ぬまでに、あと1台、ギターがほしい。 そのためにはもうちょっとうまくならないといけない。 それ以外はもう十分。 これからはもう趣味は増えないだろう。 |
![]() |