考えたこと2

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遺伝子
エライ生物学の先生が、人間は遺伝子のコンテナのようなものだ、と言った。

遺伝子を研究していると、そういう気持ちになるらしい。
人間が生きているのは、遺伝子を伝え残すためだという。
人間という外側は、それを運ぶための入れ物、という意味だ。
要は遺伝子さえ生き残ればいいということになる。

ぼくらは外側にこだわって生きているが、遺伝子にとってはそんなものはどうでもいい。
単なる遺伝子の入れ物だと考えると、人間の営みなどバカバカしく思えてくる。

人が増えすぎたり、食べ物が少なくなると、戦争が起きる。
これも遺伝子がそういうふうにセットされているのだろう。

石油という便利なものがあると、あとさきを考えずに使う。
燃やしたり、原料として利用したり、どんどん使う。
遺伝子は享楽的でもある。
楽して生きられるのなら、何でもありだ。

そして遺伝子は代々つながっていく。
人間という入れ物を乗り継いで、生き延びる。
それが人間という種の目的である、と言ってしまえばそれまでだ。

時に人間の営みを見ていると、立場が違えば、深刻なことも時にはバカバカしくて滑稽ですらある。

STAP細胞の小保方さんも、みんなの党の渡辺代表も、そんなことがバレないと思っていたのだろうか。
バレた時のことを想像しなかったのだろうか。
遺伝子は時に自己中心的だ。
自分さえよければ、回りが見えなくなる。
あとさきは考えない。

あるいは、単に気楽なだけかもしれないが…。

しかし、遺伝子の仕業だと思えば、誰もが同じようなことをする可能性があるということだ。

人間とハエの遺伝子は数%しか変わらないらしい。
その数%の遺伝子の中に、あとさきを考えずにやってしまう、という部分がある。

人間の営みは面白い。

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