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2024.06.15 Saturday
限界を感じる
最近になって、通勤や仕事をすることになんとなく限界を感じるようになった。
通勤時はエスカレーターをなるべく使わず、階段を使い、できるだけ歩くようにしているのだが、だんだんしんどくなってきた。 これが年をとるということなのだろう。 仕事をやる気がなくなったわけではない。 やっていて楽しいし、やりがいも感じる。 それでも、それに付随していることが邪魔くさいのだ。 こないだ、ラジオドラマだったか、こんなことを聞いた。 「失ったものを数え始めたときが老いたとき」 そこまではまだ行っていないと思う。 体力がなくなったとか、通勤がしんどいとか、勤め先で使っているソフトがよくわからないとか、老眼がひどくなったとか、指の関節が痛いとか、しゃがんだら立つのがしんどいとか…いろいろ失ったものはあるが、数えるほどではない。 いざとなったらまだ何とかできるから、完全に失ったとは思っていないからだ。 これがどんどん進むと、本当の老いになるのだろう。 老いて元気な人たちをテレビで見たり、ネットで見たりすると、ああまだまだやれそうだと思うが、個人差もある。 これからが、老いの本番だ。 若いころは自分が67歳になるという想像すらしていなかった。 それでも、いつの間にか生まれて67年も経ってしまった。 年月を重ねるということは恐ろしい。 「光陰矢の如し」とはよく言ったものだ。 今はまだ「老い」の準備期間かもしれない。 もちろん、「老い」の先には「死」が待っている。 「お迎えが来る」ということだ。 こないだの日曜日は1日がかりでギター教室の生徒向けの楽譜を作った。 曲を聴いて、小節数を数え、コードを決めて一からパソコンで作る。 若いころにはきっともっと早くできたと思う。 これも「老い」なのだろう。 それでも、「老い」に抵抗して、生きていかないといけないと思う。 今年も桜を見たが、でも、いつかは最期の桜を見る時が来るのだ。 |
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