考えたこと2

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限界を感じる
最近になって、通勤や仕事をすることになんとなく限界を感じるようになった。
通勤時はエスカレーターをなるべく使わず、階段を使い、できるだけ歩くようにしているのだが、だんだんしんどくなってきた。
これが年をとるということなのだろう。

仕事をやる気がなくなったわけではない。
やっていて楽しいし、やりがいも感じる。
それでも、それに付随していることが邪魔くさいのだ。

こないだ、ラジオドラマだったか、こんなことを聞いた。

「失ったものを数え始めたときが老いたとき」

そこまではまだ行っていないと思う。

体力がなくなったとか、通勤がしんどいとか、勤め先で使っているソフトがよくわからないとか、老眼がひどくなったとか、指の関節が痛いとか、しゃがんだら立つのがしんどいとか…いろいろ失ったものはあるが、数えるほどではない。
いざとなったらまだ何とかできるから、完全に失ったとは思っていないからだ。

これがどんどん進むと、本当の老いになるのだろう。

老いて元気な人たちをテレビで見たり、ネットで見たりすると、ああまだまだやれそうだと思うが、個人差もある。
これからが、老いの本番だ。

若いころは自分が67歳になるという想像すらしていなかった。
それでも、いつの間にか生まれて67年も経ってしまった。
年月を重ねるということは恐ろしい。
「光陰矢の如し」とはよく言ったものだ。

今はまだ「老い」の準備期間かもしれない。
もちろん、「老い」の先には「死」が待っている。

「お迎えが来る」ということだ。

こないだの日曜日は1日がかりでギター教室の生徒向けの楽譜を作った。
曲を聴いて、小節数を数え、コードを決めて一からパソコンで作る。
若いころにはきっともっと早くできたと思う。

これも「老い」なのだろう。
それでも、「老い」に抵抗して、生きていかないといけないと思う。

今年も桜を見たが、でも、いつかは最期の桜を見る時が来るのだ。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:43 | comments(0) | trackbacks(0) |

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