考えたこと2

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二分の一成人式
こないだ見た2018年の邦画の中で、小学生が「半成人式」というのをやっていた。
調べてみたら、最近小学校で行われているらしい。
10歳になる小学生がやる。
成人である20歳の半分で10歳だ。
「二分の一成人式」の方がよく言われているらしい。

壇上に次々と子供が上がって、親への感謝の言葉を述べる。
無理やり言わされているような気がして、気持ちの悪い場面だった。
どうしてこんな会が開かれるようになったのか。

Wikipediaによると、

「学校で行われる場合には、小学校中学年の4年生を参加者として、子供から親への感謝の手紙の発表、校長や保護者代表による祝いの言葉、「2分の1成人証書」の授与、合唱等が行われる。開催時期は多くの場合1-2月、3学期」

と書いてあった。

小学校は親へのサービス業になったようだ。
運動会で何段もの組体操をするのも、卒業式で呼びかけをするのも、親へのサービスか、教員の自己満足としか思えない。
親へのサービスの最たるものが「二分の一成人式」だろう。
こんな妙ちきりんなイベントをやる意味がわからない。

各学校の裁量で実施しているとのこと。
小学校の行事として定着しつつある、と書いてあった。

一方で、ぼくが映画のその場面を見ていて「気持ち悪い」と思ったように、批判する人も多いようだ。

「2分の1成人式を廃止した学校では、保護者から苦情が寄せられたものの子供からの文句はなく、インタビューに応じた教諭は「子供にとっては『面倒くさい行事がなくなった』ぐらいのものだった。」と答えた。」

それはそうだろうと思う。
よく義務教育の「義務」を間違えている人がいるが、あれは親の義務だ。
子供に教育を受けさせるのが義務であって、子供にとっては権利なのだ。
子どもたちは教育を受けているが、それは憲法で保証された当然の権利であって、親に感謝しなさい、などというのはオカシイと思わないのだろうか。

子どもの感情まで管理しないと気がすまないのだろうか。
管理教育もここまで来るとバカバカしい。

塾に頼ってないで、もっと真面目に教育することの方が大事だと思う。




| | 考えたこと | 23:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
オレサマ化
終身雇用の崩壊がすでに始まってる。
そのせいで、40代、50代の中高年転職者が増えているとのこと。
徐々に雇用の流動化は始まっているということだ。

しかし、今まで動いてなかった人が転職を始めると、どうか?と思う人も出てきたらしい。
人数が多くなると、玉石混交になってくる。

その人たちは「オレサマ社員」と呼ばれる。
一見丁寧だが、自分の思い通りにならないと急に居丈高になるらしい。
思い通りの求人案件がないと、そういう態度になる。

前にも、キレる中高年について書いたが、同じようなものだ。
何となく情けない気持ちになる。

記事は転職サービスの会社の経営者が書いている。
それによると、オレサマ社員になる人は、人間関係を上か下かでしか見ない。
しかし、今どき上下でしか関係性を作れない人はどこに行っても厳しいという。
大企業であっても、外部と対等の立場で付き合うとか、下請けをちゃんと協力企業として扱う、という人が望まれているからだろう。
必要なのは、上下だけでなく左右の関係だという。

たしかに、一つの企業でエラくなってしまうと、「上下」の関係しかなくなる。
大企業では、現在はなかなか昇進はできないものの、ある程度の年齢になれば周りはちゃんと敬ってくれる(たとえ表面的であっても)から、どうしても「左右」の関係に気づきにくい。
また、そういう人には外部との対等な関係を任すことができないから、逆にどんどん「上下」だけの関係になっていく。
そういう風にして「オレサマ社員」ができていく。

大学のセンセイの中にも、オレサマ教員はいる。
大学という社会から隔離された中で、先生ー生徒の関係に長いこと浸っていると、そうなるのだろう。
自分の研究領域はよく知っているかもしれないが、それ以外のことは標準以下の人がそうなりがち。
本当にエライ先生は、教養があるから、ちゃんと周りを見ることができる。
下位の大学にはそういうエライ先生は少なかったが…。

最近、いろんなところでキレる中高年を見る。
道端で怒り顔で何かをブツブツ言っている人や、スーパーのレジで怒っている人もいる。
ぼくも同じような年代だから、困ったものだと思う。

基本的には自己評価が高すぎることが原因。
年をとっても、謙虚であれということか。

実るほど頭を垂れる稲穂かな

これだ。

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