考えたこと2

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入試の公平性?
もめていた次期センター試験。
英語の民間試験に続いて、記述式の試験の採点をアルバイトがやるということで、入試の採点の公平性の点から、反対意見が相次いで、結局全部見直しになった。

もともと、正解を「選ぶ」のと、自分で正解を「考える」ことはだいぶ違うということで、やはり記述式にするべき、ということだったと思う。
この意見は正しい。
どう考えても、「選ぶ」よりは「考えて答えを自分で書く」方が本当の読解力が試せる。
それでも、センター試験の規模でやるのは無理だったということになる。
それなら、どうして今までそう言わなかったのか…。

国語の教育法が悪いのか、本を読まなくなったのか、ネットの影響かよくわからないが、学生の読解力は下がっていると思う。
計算はできるが、文章題がわからないのは、算数と言うより国語の問題だと思うこともしばしば。
これはセンター試験がマークシートでやってるから、ということで、他の多くの試験も右へ倣えでマークシートにしたからだと思う。
記述式を残した学校はエライ。
学校単位の入試なら、記述式でできるからだ。

英和辞典で「often」の意味を調べたが、「しばしば」という言葉の意味がわからなかった、という笑い話もある。
センター試験対策ばかりやっていれば、どれを選ぶかというテクニックはつくと思うが、本当に「何が書いてあるか」はわからないという批判もあったはず。
だから、国語の記述式が必要ということになったんだと思う。
その志は正しかったということだ。

そもそも2013年にセンター試験の改革をやろうとして最初に出ていた話は「高校までの到達度テスト」にして、その試験結果を入試の参考に使う、というものだったはず。
当時の教育再生会議で話し合われた。
当時から高校から反対意見は出ていたが、センター試験改革としては、ぼくはこれが一番いいと思った。
入試は各大学でやればいいのだ。
本来やるべきは、初等、中等教育の結果をはっきりさせることだと思う。
そこがはっきりしないから、多くの大学が「学び直し」の授業をしないといけなくなるのだ。

それと、今回の議論で最もオカシイと思うのは、「入試の公平性」が今ごろ取り沙汰されていることだ。
入試の公平性、というのなら、「人物本位」の「面接重視」の試験など、公平性のかけらもない、という評価になるはず。
人が人を選ぶのは難しいからこそ、筆記試験という「客観テスト」が重視されてきた。
今の改革の方向は、「AO入試」や「調査書重視」の方向であり、全く公平性が担保されない方向だ。
いろんな人が面接をして、それで選ぶことのどこに公平性があるのだろうか。
客観テストの方が公平に決まっている。

コンマ以下の点数が足りなかったから、志望校に落ちたという状態は良くない、というのなら、それこそどれだけ「面接選考」が公平なのかということだ。

さらに、国もAI人材が足りないと危機感を持っているが、文系私学では入試に「数学」がないところがほとんど。
こちらを改革するほうが先だろう。

ついでに、ギャーギャー言っている「共通テスト」を使っていない学校はどうなるのか。
そもそも、一般入試を受けずに「AO入試」や「推薦入試」を受けて半分以上の学生が入っている私学の現実をどう考えるのか、その議論も全く無い。

今の学校関係者、文科省のやり取りを見ていて、心底オカシイと思う。

もっと他に言うことあるやろ。




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