考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< March 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
+SELECTED ENTRIES
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
ギターの練習
ぼくは飽き性だ。
熱中しても、続かないことが多い。
ある程度わかったと思ったら、それを極めようと思うのをやめるというのが自己分析結果。
要は「いいかげん」なところで満足するということだ。

この「いいかげん」という言葉はピッタリだ。
「あいつはいいかげんなやつ」というように、あまりいい意味では使われない。
「いいかげんにやめておこう」というのは、深入りするとよくない、というニュアンスがある。
「ちょうどいい頃合い」という意味に使われることもあるが、少ないと思う。
ぼく自身もいい意味で「いいかげん」と言ってはいない。

ぼくが一番長く続けているのは、ギターだ。14歳からだから、45年以上続けている。
弾きたい曲はたくさんあった。
ギターを始めて数年目のまでは、必死になって練習した。
最初は頑張らないと後が続かないのだろう。

こないだ書いたが、サイモンとガーファンクルの「スカボロー・フェア」や「4月になれば彼女は」などは、楽譜を見て必死になって練習した。
毎月新婦ジャーナルやヤングギター、ガッツというような雑誌を買って、載っている楽譜を練習した。
中学生、高校生の頃はホントによく弾いた。

しかし数年たつと、楽譜そのままでなくても、ある程度似たような感じで弾ければ満足するようになった。
これが悪いクセだ。

エレキギターになっても、同じこと。
速く弾きたいと思うのだが、地道な練習ができない。
適当なところで諦めてしまう。
結局自分が出来ることを大幅に超えることができない。

ジャズギターの教室にも10年以上通っているが、最初の頃は頑張った。
しかし、続かない…。
先生に悪いとは思うのだが、最近はレッスンの時間がギターを弾く時間になってきた。

結局は、「いいかげん」なのだ。
始めた頃の熱意はどこに行ったのか。

でもまあ、いいかげんだからこそ、これだけ長い間付き合えたとも言える、と今は思う。
ずーっと必死で取り組んでいたら、こんなに長くは続かない。
ギターを弾いていた友人が、弾かなくなるのを見たらもったいないと思ったが、それは練習熱心だったからかもしれない。
いいかげんなところで満足して弾き続けるか、思った通りに弾けないから諦めるかの違いだろう。

友人に、絶対楽譜通りに弾く、というタイプがいた。
レパートリーは少ないが、弾きばえのするする曲を完成させていた。
彼も弾き続けているのだろうか。
ちょっと聞いてみたい気がする。

下手の横好きという言葉があるが、それもまた長続きの秘訣ではないかと思う。

それでも、今回の課題曲は、弾けるようになりたい、と思って練習している。
弾けたらかっこいいのだが…。



| | 考えたこと | 21:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
地方自治
シカゴの消防士のドラマが面白い。
ずっと録画して見ているのだが、消防士の一人がシカゴの市会議員?に立候補することになった。

話は議員の在り方に疑問を持った消防士が、地域の住民に勧められ、立候補するために住民の署名を集めるというところ。
なるほど、泡沫候補の立候補を食い止めるために、そういう制度になっているのかとわかる。

感心したのは、当選しても消防士の仕事には支障は出ないということだ。
アメリカの地方議員は仕事を持っていて、副業でできる。
平日の昼間に議会をやっていないのだろう。

調べてみると、250万人以上の人口のシカゴで、市議会議員の数は50人。
アメリカでは多い方だ。
ロスアンゼルスではたった15人しかいない。
人口は40万人を切っているのに、尼崎は42人もいる。

おまけに、市議会議員はボランティアに近いという。
カリフォルニア州では、報酬は月給400ドルらしい。日本円で4万円ちょっと。
たしかに、これだけでは食べていけない。

ネットを見ていると、「カリフォルニア州・バークレー市は、人口22万人で議員はたったの8人。市民が参加しやすいよう、議会は毎週火曜日夜7時から始まります。議員は市民の側を向いて座り、会議の冒頭では、市民が誰でも発言できます(外国人でも子どもでも一人3分×10人)。」という記事もあった。
市議会が、民主主義を体現する場になっているのだろう。
だから、アメリカは強い。

日本では地方議員のなり手がないということで、地方議員の年金を復活させようという動きもあるという。
これこそ本末転倒。
今の議員のシステムを根本的に変えることが、地方政治を活性化させ、民主主義を日本に定着させることになるのだと思う。

せっかく憲法改正をするのなら、そのへんも考えてやってほしい。
地方自治が民主主義の鍵なのだ。

みんなの生活から遊離した人たちが議員や地方政治をやっている。
だから、興味もなく、投票率も低くなる。
悪循環だ。

地方議員の民主化をやらないといけない。
市議会議員はボランティアにしよう。


| | 考えたこと | 00:16 | comments(0) | trackbacks(0) |