考えたこと2

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満天のゴール
FMシアターのラジオドラマで「満天のゴール」というのをやっていた。
離婚して田舎に帰った看護婦と息子、お医者さんのドラマ。
それ自体はまあいい話だったのだが、ドラマの中では「死」を扱っていた。

このタイトルの「満天のゴール」というのは、死んで満天の星の一つになる、ということ。
死ぬことを「人生のゴール」という言い方をしていた。
生まれて、走り始め、ゴールを目指す。
そう考えれば、死は人生のゴールという言い方もシャレている。

何より、積極的に目指すのだ、という語感がある。
ドラマの中では末期ガンのおじいさんが出てきて、山の中の家で死にたい、という。
家族は都会の病院で治療をしてほしいと言うが、おじいさんはここでないと生きている感じがしない、という。
訪問看護の看護婦と、医師はそれを尊重している。
そのおじいさんが、ゴールはもうすぐだ、といってその何日が後に亡くなる。

なかなか「人生のゴール」を意識して生きるというのは難しい。
やっぱりそれが見えてきてからのような気がする。

エリザベス・キューブラー・ロスという人の「死の受容の5段階」というのがある。
それによると、人間が死を宣告されてから「否認」、「怒り」、「取引」、「抑うつ」、最後は「受容」の5段階を経るということだ。
おそらくキリスト教の人なので、その色がついている。
第3段階の「取引」というのは「神との取引」らしい。
この段階は日本人はパスだろう。

ドラマのおじいさんは、最初から5段階の「受容」だった。
死を受け入れなければ「ゴール」という積極的な意味付けはできないと思う。
舞台は自然の多い田舎だった。
そういう自然の中にいれば、「受容」が早く出来るのかもしれない。
もちろん、ドラマだから時間の流れは飛ばして描いているのだが…。

ラストシーンは海に映った満天の星。
その星一つ一つが、誰かの命だ、という。

高齢化の日本は人生100年の時代だという。
100年の時代だから、長く働こうとか、健康寿命を上げようとか言っている。
科学技術が発達して、いろんなことが良くなっていくのだろう。

でも、所詮は人間が生きて死ぬということだ。
人生でただ一つ、生まれたときから決まっていること。
人類でただ一人の例外もなく、かならず起こることだ。

そのゴールを意識することは、やっぱり大事だろうなあ。


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