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2018.03.06 Tuesday
満天のゴール
FMシアターのラジオドラマで「満天のゴール」というのをやっていた。
離婚して田舎に帰った看護婦と息子、お医者さんのドラマ。 それ自体はまあいい話だったのだが、ドラマの中では「死」を扱っていた。 このタイトルの「満天のゴール」というのは、死んで満天の星の一つになる、ということ。 死ぬことを「人生のゴール」という言い方をしていた。 生まれて、走り始め、ゴールを目指す。 そう考えれば、死は人生のゴールという言い方もシャレている。 何より、積極的に目指すのだ、という語感がある。 ドラマの中では末期ガンのおじいさんが出てきて、山の中の家で死にたい、という。 家族は都会の病院で治療をしてほしいと言うが、おじいさんはここでないと生きている感じがしない、という。 訪問看護の看護婦と、医師はそれを尊重している。 そのおじいさんが、ゴールはもうすぐだ、といってその何日が後に亡くなる。 なかなか「人生のゴール」を意識して生きるというのは難しい。 やっぱりそれが見えてきてからのような気がする。 エリザベス・キューブラー・ロスという人の「死の受容の5段階」というのがある。 それによると、人間が死を宣告されてから「否認」、「怒り」、「取引」、「抑うつ」、最後は「受容」の5段階を経るということだ。 おそらくキリスト教の人なので、その色がついている。 第3段階の「取引」というのは「神との取引」らしい。 この段階は日本人はパスだろう。 ドラマのおじいさんは、最初から5段階の「受容」だった。 死を受け入れなければ「ゴール」という積極的な意味付けはできないと思う。 舞台は自然の多い田舎だった。 そういう自然の中にいれば、「受容」が早く出来るのかもしれない。 もちろん、ドラマだから時間の流れは飛ばして描いているのだが…。 ラストシーンは海に映った満天の星。 その星一つ一つが、誰かの命だ、という。 高齢化の日本は人生100年の時代だという。 100年の時代だから、長く働こうとか、健康寿命を上げようとか言っている。 科学技術が発達して、いろんなことが良くなっていくのだろう。 でも、所詮は人間が生きて死ぬということだ。 人生でただ一つ、生まれたときから決まっていること。 人類でただ一人の例外もなく、かならず起こることだ。 そのゴールを意識することは、やっぱり大事だろうなあ。 |
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