考えたこと2

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風立ちぬ
新しいジブリの映画はゼロ戦の設計者の話らしい。

ゼロ戦はすごい戦闘機だった。
吉村昭の「零式戦闘機」という本を読んで、感心した覚えがある。
30代でこの本を読んで、しばらくして軽量化がはやり、その見本としてゼロ戦が使われたりした。
中には、フィリピン沖かどこかで引き揚げられたゼロ戦を見学に行った、という話もあった。

戦争の力はスゴイ。
不可能を可能にする。その代わり犠牲はある。
戦闘機というようなものを作る時には、たくさんのエンジニアが関わる。
それらのエンジニアたちは一人一人部品の担当をしている。
その各々が部品の性能のマージンを持っている。
そのマージンには、必要なものと、安心のために取っているものがある。
この後者をいかにエンジニアにはき出させるか、というのが軽量設計の肝である、という話を聞いた。

ゼロ戦はまさにそんな戦闘機だったという。
普通はパイロットの背もたれの部分に、後ろから撃たれた時の弾を止めるための鋼板がある。
しかし、軽量化のためにそれを採用しなかった。
そして、フレームのいたるところに軽量化のための穴が空いている。
強度と軽量化を両立させるためにはそんな込み入った事をしないといけない。

そして、ゼロ戦は開戦当時から、終戦間際まで実際の空中戦ではほとんど撃墜されていない、という実績がある。
まともなパイロットが乗っているゼロ戦は本当に強かったらしい。
空中での操縦性が高いということだ。
小回りがきき、相手の後ろにつくのが容易だったということだろう。
連合軍は一時、ゼロ戦とは戦うな、という指令を出したという。
戦ったら負けるから、戦わない。
そういう戦略をうちだせるのは、別の意味でスゴイことだ。

連合軍は落ちたゼロ戦を引き揚げて研究した。
そして、軽量化がその要因だと分かった。
穴だらけのフレームを見て、ビックリしただろう。
しかし、その設計思想は真似しなかった。
人命軽視だったからだ。

その成り立ちから、素晴らしいパイロットとゼロ戦の組み合わせは無敵だった。
しかし、日本軍は人命を軽視し、ムチャな作戦をやり続け、パイロットを失った。
飛行機は設備があればすぐにできるが、経験豊富なパイロットを養成するのは大変だ。
そこを精神論でやってしまった。

そんな不幸な運命の戦闘機がゼロ戦だと思う。

その設計者の映画ということで、風立ちぬを見たいと思う。

| | 考えたこと | 21:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
昔のこと
18歳で会って、4年間、近くの下宿で行ったり来たりした。

そんな友人と久しぶりに会った。
7年ぶりか。
前会ったときは40代だったが、お互いに年をとって彼はあと3年ほどで定年。
今は給料がだいぶ減るが、65歳まで再雇用してくれるとのこと。

ぼくらは工学部の情報系の学科だった。
1学年40人だったか。今はもうその学科はない。
1回生の時に会った、大学に入ってできた最初の友人だったと思う。
彼は学園祭の事務局だったので、彼を通していろんな友人ができた。

当時ぼくはまだ夢見る青年だったと思う。
落語とギターしかやっていなかった。
4畳半の下宿で、トイレは共同、風呂は銭湯。
大家は一緒だったのだが、ぼくは木造の古い下宿で、彼は鉄筋の新しい下宿だった。

3回生の秋、落語の発表会の前に激やせしたことがある。
夜中に背中が痛いので、家庭の医学という本を見ると、膵臓がんが疑わしいと書いてあり、これは治らないとも書いてあった。
一度書いたことがあると思うが、いま思えば寄席に出るプレッシャーでノイローゼになっていたのだと思う。
本当に1日1食しか食べられない。
食堂のうどんでお腹がいっぱいになり、体重は計っていないが、角帯を締めるとウエストが10センチくらい短くなっていた。
結局そんな状態でやったネタは大失敗。

寄席が終わり、病院に行って診てもらうと、医者が「若いのに、そんな病気になるわけがない。心配やったらバリウムでも飲んで検査するか?」と言われ、その瞬間に治った。
いくらでも食べることができる。
後日検査はしたが、何ともなかった。
その時得た反省は、あまり背伸びをしてネタをやってはいけない、ということ。
ぼくのやったネタで、3回生の秋が一番大きなネタになった。
それ以降は無理をせず、そんなに難しいネタをやらなかったのだ。

さらに後から思うと、何より自分に余裕がなかったと思う。
人を笑わすには、自分に余裕がなければイケナイ。
自分が楽しんでこそ、人を楽しませることができる。
その教訓は後の人生にも役立った。

そんなことを思い出した。
今日はいい日だった。

| | 考えたこと | 02:09 | comments(0) | trackbacks(0) |