![]() |
2012.03.21 Wednesday
彼岸
昨日は彼岸の中日で、母と墓参りに行った。
Wikipediaによると、「彼岸とは、煩悩を脱した悟りの境地のことで、煩悩や迷いに満ちたこの世をこちら側の岸「此岸」(しがん)と言うのに対して、向う側の岸「彼岸」という。」とある。 要は、「この世」に対する「あの世」の事を言うのだろう。 春分、秋分の日の前後3日間を彼岸といい、この期間に仏事を行う、ということになっている。 ただ、これは本来の仏教にはなく、日本独自のものであるという。 源氏物語に「彼岸」という言葉が出てきて、先祖の霊を供養するという風習が平安時代からあったらしい。 昨日は彼岸の中日で天気もよく、お墓はたくさんの人が家族連れで墓参りに来ていた。 日本人は信心深いと改めて感心した。 しかし、墓参りはするが、家にお坊さんに来てもらって法要をするというような家は、どんどん減っているだろう。 特に都市部ではそうだ。 これからは、葬儀の形もどうなっていくのか、興味深い。 春と秋に墓参りをするという習慣はいつまで続くのだろうか。 盆も合わせると、年に3回。 昨日見たら、どのお墓もわりときれいになっていたから、今はちゃんとやっているのだろう。 これから団塊の世代の人たちがメインになってくるが、ちゃんとやるのだろうか。 それにしても、彼岸に先祖を供養する、という発想はどこから来たのか。 「家」の概念があるから、先祖の供養になるのだろう。 阿弥陀仏や観音様には、「家」の概念はないと思う。一神教のような感じだ。 柳田国男によると、神道には死者が生者の近くにいて、盆や正月に戻ってくるもの、という死生観があるらしい。 やはり、日本人が古来の死生観を捨てきれないのを、仏教が拾って仏事にしたのか。 そういえば、散骨をするというのも、海や山に骨をまいて自然に帰る、というような感覚があるなあ。 仏教が伝来して、死後は極楽か地獄に行くということになったが、それよりも子孫のそばで見守るという感じがいいような気もする。 ぼちぼちこの年になると、死について関心が深くなってくる。 |
![]() |