![]() |
2011.04.01 Friday
ボランティアという言い訳
最近、東北関東大震災の話題が多い。
公式の場でも、震災の話をして、そしてその支援をどうするか、というようなことを話していると時間が過ぎていく。 本当に差し迫っていて、話し合わないといけない話題がある時でも、震災の話で過ぎていくことがある。 震災を理由に、自分たちの問題と向き合わないというのは困ったことだ。 そのことを、「震災を言い訳にするな」という言葉を使ってよいのかどうかはわからないが、そういう意味なので、ご理解願いたい。 あくまで、ぼくらの立場は何かするとしてもボランティアだ。 それを話し合うのはかまわないが、だからといって、自分たちの問題を棚に上げていいのか。 物事には、プライオリティというものがある。 優先順位のことだ。 今、震災はたしかに日本人全員の問題だし、みんなで取り組まなければならない問題だ。 しかし、ぼくらはあくまでボランタリーにしかできないと思う。 そして、ボランティアというのは、自分が何らかの余裕があって初めてできるものだと思う。 時間の余裕がある人は、現地へ入って、何でも手伝います、といえばいい。 お金に余裕がある人は、義援金をたくさん出せばいい。 自分はこれができる、ということがある人は、時間があれば、その技術を被災地で使えばいい。 どうしても、ボランティアに行きたいという人は、余裕がなければ、何とかして時間を作って行くことになるだろう。 ボランティアを精一杯やりたい、という人はお金に余裕があれば、仕事をやめて現地に行くことになるだろう。 あくまで、ボランティアは余裕がある人のためのものだ。 阪神大震災の時も、ボランティアの人たちがたくさん来て、助けられた。 本当に感謝すべきだと思う。 しかし、一方で自分が向き合うべき問題を先送りして、ボランティアをしてしまう人がいる。 それによって、迷惑を被る人がいるのに、ボランティアをしているからという理由で、自分を正当化してしまう。 テレビを見ていて、自分も何かしなくては、という気持ちになって、矢も盾もたまらず気がついたら現地に行っていた、という人はすばらしいとは思う。 しかし、本当にボランティアができる人なのか、ということが問題だ。 自分が向き合うべき問題から目をそらし、ボランティアに行く、という人は一定数いると思う。 それを、あからさまに悪いとは言えない。 しかし、自分が向き合うべき問題を先送りにしてまで、ボランティアをする必要はないと思う。 結局は、それによって、迷惑を被る人たちがいるのだから。 ぼくはそう思う。 |
![]() |