考えたこと2

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ボランティアという言い訳
最近、東北関東大震災の話題が多い。

公式の場でも、震災の話をして、そしてその支援をどうするか、というようなことを話していると時間が過ぎていく。

本当に差し迫っていて、話し合わないといけない話題がある時でも、震災の話で過ぎていくことがある。

震災を理由に、自分たちの問題と向き合わないというのは困ったことだ。
そのことを、「震災を言い訳にするな」という言葉を使ってよいのかどうかはわからないが、そういう意味なので、ご理解願いたい。

あくまで、ぼくらの立場は何かするとしてもボランティアだ。
それを話し合うのはかまわないが、だからといって、自分たちの問題を棚に上げていいのか。

物事には、プライオリティというものがある。
優先順位のことだ。
今、震災はたしかに日本人全員の問題だし、みんなで取り組まなければならない問題だ。
しかし、ぼくらはあくまでボランタリーにしかできないと思う。
そして、ボランティアというのは、自分が何らかの余裕があって初めてできるものだと思う。

時間の余裕がある人は、現地へ入って、何でも手伝います、といえばいい。
お金に余裕がある人は、義援金をたくさん出せばいい。
自分はこれができる、ということがある人は、時間があれば、その技術を被災地で使えばいい。
どうしても、ボランティアに行きたいという人は、余裕がなければ、何とかして時間を作って行くことになるだろう。
ボランティアを精一杯やりたい、という人はお金に余裕があれば、仕事をやめて現地に行くことになるだろう。
あくまで、ボランティアは余裕がある人のためのものだ。

阪神大震災の時も、ボランティアの人たちがたくさん来て、助けられた。
本当に感謝すべきだと思う。

しかし、一方で自分が向き合うべき問題を先送りして、ボランティアをしてしまう人がいる。
それによって、迷惑を被る人がいるのに、ボランティアをしているからという理由で、自分を正当化してしまう。
テレビを見ていて、自分も何かしなくては、という気持ちになって、矢も盾もたまらず気がついたら現地に行っていた、という人はすばらしいとは思う。

しかし、本当にボランティアができる人なのか、ということが問題だ。
自分が向き合うべき問題から目をそらし、ボランティアに行く、という人は一定数いると思う。

それを、あからさまに悪いとは言えない。

しかし、自分が向き合うべき問題を先送りにしてまで、ボランティアをする必要はないと思う。
結局は、それによって、迷惑を被る人たちがいるのだから。

ぼくはそう思う。



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