考えたこと2

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チャイナシンドローム
今の十代、二十代は、チャイナシンドロームという映画を知らない。

ジェーン・フォンダとジャック・レモンが出ていた。1979年の映画。
映画館で見たわけではないが、当時テレビで放映された。
"You are contaminated." というランプがついて、それが被爆という意味だった。
原子炉の事故を暴くというストーリーだったと思う。

チャイナシンドロームとは、炉心溶融が起こり、高温でそれが地中に沈み、そしてそのまま裏側の中国まで行ってしまう、ということ。
これは冗談だが、実際原子炉で事故が起こり、核分裂を制御できなくなると、そういうことが起こりかねないということだ。

ぼくは、30代の頃、原子力発電をするべきだと思っていた。
実際にチェルノブイリの事故などがあっても、日本では安全だと思っていた。
石油に頼ることなく、エネルギーを満たすことができるというリクツだ。

しかし、動燃事故があってから、その考えは変わった。
あまりに杜撰な処理。いい加減としか言いようがない。

放射能は、人間が扱えるほど簡単なものではない。
核分裂は危なすぎる。
人間はそれほど賢くないのだ。

だから、原子力発電はやめて、風力や太陽光にするべきだと思う。
国が原子力関係の予算を取っているから、やめられないのだろう。
それをエコエネルギーに変えるべきだ。

いつかは起こってもおかしくない、原発の事故。
福島でいまそれが起こっている。

何がどうなっているのか、わからないが、核分裂がとまらなくなって温度があがり、それを冷やすことができない、という状況。
自衛隊が出動しているらしいが、チェルノブイリなみの被爆がすでに起こっているのかもしれない。

そうなっていないことを願うが…。


| | 考えたこと | 23:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
人間は無力
昨日はニュースを見ていて、遅くなった。

東北の沖で陸地と海のプレートがぶつかっており、そこでプレートが4メートルほど動いたらしい。

不勉強で、プレートのつなぎ目がそんな近いところにあるのか、とびっくりした。
阪神大震災のときも、自分の故郷が断層の上だったことに驚いたが、こういうことがあると、この国はアブナイところに成立しているのだ、と思う。
政治的にアブナイのはわかっているが、地理的にもアブナイ。

もともと、2億5000万年前には今の大陸が一つだったという。
それが長い時間をかけて、五大陸に分かれた。
その過程では、地震というようなレベルでは想像できないようなことが起こっただろうと思う。

こういうことが起こると、改めて地球の表面が動いているということがわかる。
今の状況で止まる保障はどこにもないのだ。

プレートが動くと、それに誘発されて別のエネルギーのひずみがたまっているところが動く。
それがどこになるのかは、わからない。

プレートダイナミクスという学問はあるが、それとて、結果論でしかない。
結果を説明することができても、予測することはできない。
宇宙のことはおろか、地球のことも人間はわかっていないのだ。

大震災のとき、人間は無力だなあ、と思った。
いろんなインタビューを見たが、「どうしたらいいですか」という質問に対して、「そら、こんなん来たらどうしようもないワ」という、関西弁がよく聞かれた。

あまりに大きな災害に向き合ったとき、対策などない。
いくつもの「なぜ」、「どうして」はあるが、ぼくらには起こったことを認めるしかないのだ。

被害が大きすぎて、想像もつかない。
火事、津波の猛威は恐ろしい。
今後も余震があるという。

たくさんの人が亡くなっているが、何人かわからない。

昨日息子の高校で、今日地震の被害に対して、募金をするというメールが来ていた。
最近の若い人には、ボランティアという文化がある。

しかし、この諦観はどうしようもない。
人間は無力だ。




| | 考えたこと | 09:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
IS-03
auのスマートフォン、IS-03を買った。
アンドロイドというヤツだ。
これはなかなかいいと思う。

勤め先のメールがGmail、スケジュール管理がGoogleカレンダーなので、それが使えるというのがスマートフォンの条件だった。
そこは申し分ない。
Gmailというアイコンがあって、アカウントを切り替えることもできるし、メールを見ることも、書くこともできる。
Googleカレンダーもアイコンがあるし、webで確認することもできる。
これは便利だ。

メモ帳もあるし、カメラもついている。
Googleで検索もできる。

ただ、電話をかけるのが面倒だ。
やたら手数が多い。
電話のボタンを押して、ダイアル画面で電話帳のアイコンを押して、そこであかさたな…の頭文字を選びそれを押して、そして指でドラッグして目的の人を押して、そしてダイアルボタンを押すと、電話がかかる。

かかってきた人にかける、というのも、ボタンを押してダイアル画面にして、そこで着信履歴を押し、そして人を選び、そしてダイアル画面に戻って、発信ボタンを押す。

書くと簡単なように見えるが、ぼくの年になると、手が乾いているから、なかなか小さなところを押せない。
特に電話帳のあかさたな、という頭文字を選ぶ画面は小さく、誤って隣の文字を押してしまうことが多い。

やっぱり電話と思ってはいけないのかもしれない。
インターネット端末に、ついでに電話がついている、という感じ。

まあ、それでもいいのだが、電話を頻繁に利用する人はシンドイと思う。

それと、バッテリーはすぐになくなる。
これはご注意。

| | 考えたこと | 03:04 | comments(0) | trackbacks(0) |