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2011.03.20 Sunday
言葉の断片
今日は高校の友達に会った。
10年ぶり、20年ぶりの人もいた。 本当に久しぶり、という感じだった。 10年前に亡くなった仲間がいる。 ぼくが彼との一番の思い出だと思っていた話を、生前の彼にしたら、全く覚えていなかった、という話をした。 もう一人がぼくについて覚えていることを言うと、へー、そんなことがあったかなあ…ということになった。 人によって、同じ時間を過ごし、同じ事を経験しても、印象に残るところが違う。 そのとき、その瞬間に出た言葉は、もう自分のものではない。 それが誰かを感動させたり、傷つけたりする。 それを忘れる人もいるし、それを覚えている人もいる。 そして、何十年か経って、そんなことがあったかなあ、という事になる。 だから、言葉は大事だ。 人にとっても、自分にとっても。 久しぶりに池田晶子の「41歳からの哲学」から、引用させてもらう。 「自分で金を出して買う物、一般商品の場合ですら、人の心はそのように動く。値段がその物の価値なのだ。それなら、もともと値段のついていないもの、金のいらないタダのものを、ありがたいもの価値あるものと、思うことなどあるわけがない。金のいらないタダのもの、誰もが持ってる普通のものの筆頭が、すなわち、言葉である。日々話されるこの言葉、これが価値だと知っている人など、きょうびいるものだろうか。 言葉なんて、タダだし、誰でも使えるし、世の中は言葉だらけだし、なんでそんなものが価値なのだと、人は言うだろう。しかし、違う。言葉は交換価値なのではなくて、価値そのものなのだ。相対的な価値ではなくて、絶対的な価値なのだ。誰でも使えるタダのものだからこそ、言葉は人間の価値なのだ。安い言葉が安い人間を示すのは、誰もが直感している人の世の真実である。安い言葉は安い人間を示し、正しい言葉は正しい人間を示す。それなら、言葉とは、価値そのもの、その言葉を話すその人間の価値を、明々白々示すものではないか。 だから人は言葉を大事にするべきなのである。そのようにして生きるべきなのである。自分の語る一言一句が、自分という人間の価値、自分の価値を創出しているのだと、自覚しながら生きるべきなのだが、こんなこと、きょうびの人には通じない。・・・(中略)・・・五千円、五万円だろうが、必要な言葉は、必要なのである。 価値ある言葉に、値段はつかないのである。常にそのような自覚によって、言葉を語る人生と、そうでない人生とでは、その人生の価値は、完全に違うものになるのである。」 まさに、そのとおりだと思う。 |
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