考えたこと2

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エロイムエッサイム
朝のドラマは、水木しげるのマンガがテレビ化されるところまできた。

昭和40年代の前半か。
悪魔くん、という実写のドラマだった。

詳細は覚えていないが、エロイムエッサイム、エロイムエッサイム、我は求め訴えたり、という文句はよく覚えている。
文語調の言葉がまだ使われていた。
主題歌の最初は「エロイムエッサイム」で始まる。
ドラマの中で、水木が作詞をしていたが、そんな経緯があるとはなあ。

悪魔くんはなんだかヘンな子ども番組だった。
地獄の魔方陣から何かを呼び出して…、悪い奴らをやっつけるのだったか…。
あまり覚えていないが、とにかくテレビは見ていた。

カラーテレビを買っても、悪魔くんは白黒放送だ、と言っていた。
なつかしい。
前にも書いたが、カラー放送は画面に小さく「カラー」というロゴが出て、ほんとはカラーなんだよ、とイヤミを言っているような気がしたものだ。
ちょうど今のアナログ放送という文字のようなものだ。

悪魔くんはそれなりに流行ったと思う。
担当の編集者が言っていたが、「エロイムエッサイム、エロイムエッサイム」という文句が印象に残るのだ。
そして、その曲を明るいマーチのリズムでやろう、と水木が言っていたが、これは、本当にそうだった。
おそらく、実話なのだろう。

どちらが先かわからないが、ちょうど梅図かずおが出てきて、怪奇マンガが流行りだしたころだった。
ヘビ女とか、クモ、ネコなどを題名に入れた、怖いマンガを出していた。
今の人は「まことちゃん」の梅図かずおだと思っているかもしれないが、この人は怪奇マンガ専門だった。
まことちゃんは、梅図がイメージチェンジして、本人がバンドをやったりした頃の作品ではないか。
梅図かずおの作品を読んだら、夜、暗い廊下を歩いて、トイレに行けなくなる、という時代だった。

それに比べて、水木しげるのマンガは、怖い中にも何となくおかしさがある、という感じだった。
悪魔くんに続いて、ゲゲゲの鬼太郎(今はまだ墓場の鬼太郎)が出てくるが、この中のキャラクターは何となくおかしさがあった。
子泣きじじい、一反木綿、砂かけばばあなど、今あらためてみると、確かにオカシイ。

このドラマでは、ゲゲゲの女房の子ども時代に、「こわいものは、おもしろい」というセリフが何度も出てきた。
ぼくはSFマンガ派だったが、それでも、悪魔くんやゲゲゲの鬼太郎をよく覚えているのは、そういうことなんだろう。
あの特徴的な絵は、それまでのマンガ家が描かなかったものだ。

貸本マンガから、雑誌の連載マンガ、そしてテレビへ、というマンガを取り巻く盛衰がよくわかる。

しかし、本当に多くのマンガ家が貸本マンガで生まれ、そして志半ばであきらめ、それで残っているのが今の大御所、という図式。

昨日の朝、倒産した貸本マンガの印刷所の元社長や、水木の家に下宿していて、食いつなげずに関西に帰った元マンガ家が、食堂やどこかのテレビで、水木の原作がテレビで放映されると、わがことのように喜んでいる場面があった。

自分が昔志した道を、苦しいながらも歩き通し、ついにテレビになった、という感激。
今の若い人は、こういうのがほしいんだろうなあ。

だれも、うらやましいとか、金をせびりに行こうという人がいない。
そういう人はいただろうが、この時代、そんなことを思っていても、表に出さない。
みんな、水木の成功を涙を流して喜んでいた。

そういう時代を過ごしてきたと思う。

感謝。



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