考えたこと2

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人生の終わり
年末から膝が痛い。
右の膝に水がたまって2回抜いてもらった。
その後は診てもらっていないが、まだしゃがんだ時やしゃがんで立つときに痛い。

整形外科ではしゃがむという行為をしないほうがいいと聞いたが、どうしてもしゃがまないと仕方ない時もある。
お店で下の棚のものが取りたいときはどうしようもない。
生きていたら、しゃがまないといけない時もあるのだが…。
これからの人生、しゃがむという行為をしないで生きていくのか、と思う。

結局そういうことなのだ。
年を取ると、できないことが増えていく。
しゃがめないのは序の口だろう。

母を見ているとよくわかる。
握力が弱くなって、瓶のふたやペットボトルのふたが開けられない。
スーパーまで歩いていくことも、いまは何とかできているが、そのうちできなくなるだろう。
ちょっとそこまで行くこともできなくなる。
そんな風にして、人生の終わりを迎える。
したがって、必然的に最期は寝たきりが多くなる。
こんな風になるとは思わなかった。

若いころは今よりも年寄りの人数が少なかった。
車いすもめったに見なかった。
今は電車に乗っていても、よく見かける。
その頃は寿命が短かったから、元気な間に亡くなる人も多かったのだろう。

こないだ、ブライダル企業を狙っている学生に、これからは結婚式よりも葬式が増えるから、そっちはどうか?と聞いたら、その気はないという。
ビジネスとしては、国内では絶対に葬儀のほうが流行るはず。
もったいないことだ。

今の日本は医療も手厚いし、簡単には死ねないから、誰もがそういう可能性を持っている。
おまけに長生きになったおかげで、認知症のリスクも大きくなった。

家族の顔も忘れ、自分のことも忘れて、はたして生きながらえる価値があるのだろうか。
尊厳死は避けて通れないと思うのだが、なかなか議論されない。
命は大事だ、ということだが、ここまでくると本当にそうなのかとも思う。

人生の幕引きは難しい。




| | 考えたこと | 23:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
軍事と科学
アメリカがイランの司令官を攻撃したのは、無人のドローンではないかと言われている。
レーダーに捕捉されないステルス機能を持ったもので、アメリカをはじめ、いろんな国が開発しているらしい。

これを使うと、上空からこっそり敵地に入り、目標を継続監視しながら攻撃することができる。
大きなエンジンのものから、小型のものまであるらしい。

幅1メートルの小型のものはいろんなところですでに使われている。
もちろん、動力はリチウム電池とバッテリーだ。

一方民生用のドローンは中国がシェアの7割を占める。
DJIという深センの会社は日本法人も持っていて、とても日本のドローンではかなわない技術を持っている。
もちろん、その技術は軍事用にも使われているんだろう。

時代は無人機だ。
落ちてもパイロットがいないので、人が死なない。
安全にさほど気遣わないので、安価で量産できる。
自動車で自動運転ができる時代だから、戦闘機もいつかは自律飛行できるだろう。
そうなると、戦争もやる方は人道的?にできる。

戦争が人類の科学技術を発展させてきたのは事実。
そのために、お金が出るからだろう。
インターネットも、元々はどうやって核攻撃されても通信が保持できるか、というところから開発された技術だ。

調べてみると、軍事用に開発されたもので日常生活に使われているものは多い。
自動ドアの赤外線センサーも、もとはミサイルの誘導用だったそうだ。
デジカメやスマホで使われている、電子の目であるCCDセンサーはスパイ衛星からの転用。
今は画素数も大幅に上がり、顔認証などで人物特定などにも利用されている。
香港のデモではそれを防ぐために、みんなマスクをしていた。
同様に、パソコンや電子レンジでも軍事技術が使われているとのこと。

大きな目で見れば、元は軍用だった技術を民間に転用していなければ、今の生活はできない、と言っても過言ではない。
結局大昔から人間は戦争をしてきたし、それが文明を発達させたのだ。
極論すれば、原爆ができたから世界大戦がなくなったと言っても間違いではないとも思う。

軍事の特徴は、一つは「こうすれば相手に勝てる」という目標が明確であること、もう一つはそのためには「お金を惜しまない」ということだろう。
優位に立たなければ、やられてしまうのだから。
そういうスタンスで研究すれば、優れた技術が生まれる、ということだ。

民間の研究ではそうはいかない。
別に今のままでもいいのだが、より便利になるとか、今までできなかった何かができるようになるとか、そういう目標になる。
そして、それをいくら研究者が言ったところで、金になるのか、という話になる。
もちろん、白色LEDのようにそうでない技術もあるが、実際に日常生活で恩恵を受けている技術の多くが、軍用に開発されたものをベースにしている、ということはやはり軍事にメリットがある、ということだろう。
「平和」といくら言ったところで、「核」が大戦争を抑止してきたことは事実だと思う。

それを支えてきたのは、今まではアメリカの覇権主義だ。
当時のソ連に宇宙の軍事利用で勝って、社会主義は崩壊し、たくさんの国がソ連から独立し、ソ連はロシアになった。
アメリカは経済力も強いが、軍のプレゼンスが大きくないと、国際社会で力を持てないと知っている。
中国共産党も、露骨に覇権主義を掲げ、13億人の市場を抱えて新たなプレイヤーになった。

世界はどんどんわからなくなってきている。
アメリカが内向きになり、中国が外向きになって、ロシアも絡んでどうなるかわからない。
ヨーロッパも理想どころではなく、バラバラになりそうだ。

いろんなところで対立が進んで、結局人類はあんまりいい方向に向かっていないように思う。
手塚治虫が鉄腕アトムで描いた、科学の平和利用の世界は残念ながら夢物語になりそうだ。

平和のために軍事をやる、という逆説的なことも考えないといけないのではないか…。



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