考えたこと2

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カリフォルニアの青い空
アルバート・ハモンドのヒット曲。
日本では一発屋という感じ。
この曲がBSのSong to soulという番組で取り上げられた。

アルバート・ハモンドは60年代にスペインやイギリスでヒット曲を飛ばし、70年代にアメリカに250ポンドを持ってやってきたが、2年間鳴かず飛ばずだったらしい。
そこで、オーディションを受けて、最後に歌った曲がこれだ。
プロデューサーに気に入られ、超一流のセッション・ミュージシャンをバックにレコーディング。
ラリー・カールトンもギタリストとして参加した。
当時は、スタジオミュージシャンで、呼ばれて参加したとのこと。

ぼくらが高校時代の曲。
まだまだアメリカのポップスが日本でも存在感があった頃。

歌詞はサビのところだけ、よく覚えている。
Seems it never rains in California‥のところは印象的だ。
この曲で、Californiaをキャラフォーニアと発音することを覚えた。
明るいトーンで、そういう歌詞かと思ったが、夢を求めてカリフォルニアにやってきた男のことを歌った歌。
夢はまだ実現しないのだ。
ほろ苦い感じの歌詞。

この曲は一世を風靡して、ぼくは「カリフォルニアには雨は降らない」ということを知った。

会社に入って、カリフォルニアにはレイングルーブという道路に刻まれた溝があることを知った。
その上を走ると、車がふらつくという現象出るという。
カリフォルニアでは雨がめったにふらないから、たまに降ると路面にたまった油が浮いて滑るので、この溝が作られたということだ。

だから、当時レイングルーブという言葉を聞くたびに、ぼくの頭の中で「カリフォルニアの青い空」が鳴った。
そういう意味で、印象的な曲。

その後、落葉のコンチェルト(For the peace of all Mankind)というのが、ちょっと流行った。
この曲は日本だけでシングルカットされたらしい。
なんで「人類の平和のために」の邦題が「落葉のコンチェルト」なのかは不明。
当時は万事そんな感じだった。
リスナーは歌詞の意味などわからない。
邦題はフィーリングで付けていたのだろう。

番組で久しぶりに、「カリフォルニアの青い空」を聞いた。
ラリー・カールトンが、「この曲でギターを弾いたことを孫にも自慢できる」と言っていたが、それくらい今でも歌われているのだろう。

この曲をリアルタイムで知っている世代に生まれてよかったと思う。


| | 考えたこと | 20:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
高校野球のマーケット
高校球児の父、という人のツイートをツイッターで見た。

「高校球児の父となった今、実は甲子園大会を見ても心に響かなくなった。
多くの私学強豪校、子供達はスポーツ推薦、寮で朝5時から22時まで野球漬けの日々。一般生とは距離が埋まらず、外の世界を見られず、その多くが高3で野球を辞め、最終学歴となる。
TV等で主張する美しさなどどこにもない。」

子供が私学の野球強豪校に行ったら、そう思うのだろう。
たいがい、そういうところの学校法人は、宣伝のために全国で名を挙げることが目的で野球をやっている。
設備も揃え、監督も呼んできて、大阪などの野球ブローカーに頼んで選手を回してもらう。
そんな学校に行くと、甲子園に出るため、出て勝つために野球をやる。
選手のことよりも、ゲームに勝って有名になることが学校法人の意思だ。

そのために寮を準備し、朝から夜まで野球ばかり。
勉強は最低限だ。
一般の学生とは別扱いせざるを得ない。
学校法人もバカではないから、ちゃんと成績を上げるための成績重視のコースも作り、そこも別枠になる。
こういう分業をはじめると、学校は完全に商売だ。
そんな学校がどんどん増えている。
だから、最近の代表校は聞いたことのない高校名が増えた。

その分、地域による差が縮まり、接戦が増えて見る分には面白くなった。
昔はもっとワンサイドゲームが多かった。
だから、甲子園の客は「判官びいき」と言われたのだと思う。
弱い方を応援してしまったのだ。
でも、今や野球の弱い県などなくなった。
野球留学はやり放題だからだ。

必然的にそんな学校で、野球英才教育を受けると、野球はできるが、その他の経験はできない。
16歳〜18歳の人生は野球一色になる。
それを高校教育と呼んでいいのだろうか。

まだ甲子園に出て、活躍できた生徒はマシだ。
スポーツ推薦で大学に行けるかもしれない。
運が良ければ、ドラフトでプロになれる。
そんな生徒はほんの一握り。
そういう夢を見させて、生徒を釣っているのだ。

でも、大多数はそうならず、高校を出て、勉強しなくても行ける大学に行くか、就職する。
生徒がかわいそうだと思う。
高校が高校の役目を果たさない。

ここまで高校野球を商業化していいのだろうか。

もうぼちぼち、学校と切り離し、学校は教育に力を入れるべきではないか。

高校野球を美しいと喜んでいる場合ではないと思う。


| | 考えたこと | 00:03 | comments(0) | trackbacks(0) |