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2018.08.25 Saturday
思考と言語
亡くなった会社の先輩だったSさんは語学の達人だった。
工学部にいながら、文学部の英語の授業をとって、英語で論文を書き、優秀な成績を取ったということを聞いていた。 その時の論文のテーマが「言語が変わると思考が変わるか」というようなもの。 「一卵性双生児が違う言語で育ったら、どうなるかということを書いたんだ」を言っていた。 そういう思考実験を、英語で書くのは至難の業だが、Sさんの語学力はすごかった。 自分でも、よく書けたと自画自賛していたほどだった。 そういう研究結果がアメリカのWIREDニュースに出ていた。 サンデル教授の白熱教室でも取り上げていた、「トロッコ問題」のバリエーションだ。 1人を橋から突き落とせば、5人の命が救われる、という選択。 何もしなければ、5人の方にトロッコが進み5人が死ぬが、トロッコを止めるために橋の上に立っている1人を自分で線路に突き落とせば、犠牲は1人で済むというものだ。 普通のトロッコ問題なら、ポイントを切り替えるだけなので、そんなに悩まないが(それでも葛藤はある)自分で一人を突き落とすとなると、より感情の比率が上がり、それは母国語と外国語では影響が違うだろう、というのが出題者の意図だ。 結論は、「命を救うために誰かを道具として用いるという考えに、人間は本能的な反応を示す。しかし、同じ問題を外国語で考えると事情は異なり、本能的な反応が弱まる」というもの。 まあ、そうだろうということになる。 母国語では20%の人しか、1人を突き落とすという選択をしなかったが、外国語では33%になったとのこと。 ああ、この問題をSさんに見せて話をしたかった、と思う。 まさにSさんが考えていたのは、こういうことだったんだろう。 このWebページを見たら、どういう反応があっただろうか。 ちょうどSさんが大学受験の年は大学紛争で東大の入試が無かった年。 いろいろ事情があって、本当は東京外大に行きたかったのだが、行けなかったと言っていた。 お父さんが技術者で、工学部を勧めたということもあったと聞く。 もし東大の入試があって、東京外大に行けていたら、どんな仕事をしていただろうか。 人生にはいろんな"if"がある。 どういうわけか、それまでの選択の結果、ぼくの入った会社に先に入り、先輩になった。 そう思うと、不思議なめぐり合わせだったと思う。 今日の記事を見て、そんなことを考えた。 Sさんは自分で書いていながら「どんな結論だったか忘れてまった」と名古屋弁で言っていた。 その結論は、どんなものだったんだろうか…。 |
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