考えたこと2

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1万人の第九 1回目練習
今年は第一回練習が終戦記念日。15日の水曜日だった。
今年も去年と同じ、コダマ先生だ。
西宮Aのグループは場所も同じ。
2年連速の2回目だから、余裕がある。
ただ、今年はバスに変えたので、練習は初回になる。
事前にIpadのアプリで練習しようとしたら、バスの音源を別途買いなさい、と言われた。
パート別にお金がかかる。仕方ないから2400円払った。

受付を済ませて会場に入ると、とにかく女性が多い。
前は女性パートなのだが、去年より2列くらいはソプラノ、アルトが後ろに来ている。
だいたい、2対1くらいで女性多数になった。
最初にMBSの担当が人が、今年は全部で1万5千人くらい応募したと言っていた。
ソプラノが一番多く、前の半分以上を占めていた。
これは去年も一緒。最終的にはもう少しアルトが増えるだろう。高い声が出ないからだ。

テナーも高い声が出なくて、バスに移る人がいくらかいる。
早く決断したほうがいい。

コダマ先生は去年と同じく、第1回目は発声練習に時間をとった。
去年はたこ焼きを入れた口、と言っていたが、今年はじゃがいもになっていた。
要はあくびをする口で歌うということだ。
去年と同じく、骨盤底筋に力を入れて、足の指で床を掴んで、息を吸う。
吐くときに、それらをリリースする。

身体を使って声を出す。
喉で出すのではない。
おなじみの指導。

第一回目では歌詞の発音を解説。
やはり、カタカナをふってはダメと言われた。
そう言われても、去年の中盤にふってしまったからもう遅い。
しかし、言ってることには一理ある。
ドイツ語でなくなるからだ。
意味も考えて歌おう、と話す。
今年は2年目で余裕があるので、それも考えることにしよう。

そして、「音楽は言葉だ」と言った。
まあ、バリトン歌手だからそういうのだろう。
楽器の奏者は、「そう言われても」という人もいるだろうが‥。
「言葉の中に音楽がある。音楽は言葉の下僕。」とも言い切った。
歌詞のない音楽は、旋律の中に歌詞を感じろということだ。

来週、再来週と練習は続く。
今年は12月2日が本番。

頑張っていこう。

| | 考えたこと | 10:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
批判と非難
下位の大学では、昔でいう「ゼミ」が成り立たなくなっているところが多い。
ぼくのいた学校でも、ゼミを成り立たせることができる先生は、数名のみだ。
あとの先生は、発表者にコメントをして、それでシャンシャンというようなもの。
就職選考でグループディスカッションというのがあるのだが、その説明をするのに「ゼミでやっている討論みたいなもの」というと、「ゼミは討論などしていない」、と学生が堂々と言ったりする。
討論するというのはスキルが必要で、それを身につけるのが大学であり、ゼミでもあると思うのだが…。

ナイーブな学生が多くなった昨今、人の言ったことに意見を言うのは、抵抗があるらしい。
だから、いいことや褒め言葉しか言わないという。
どうして?と聞いたら、意見を言うと文句を言っていることになり、仲が悪くなったら嫌だという。
つまり、建設的な批判というのが何だかわかっていないのだ。

とにかく、何か言うと文句、つまり非難になると思うらしい。
口を酸っぱくして、非難と批判は違う、というのだが、その違いがわからない。

非難は、相手を敵視して文句を言うこと。
話している内容はどうでもよく、難癖をつければいいというものだ。
批判は話している内容について、異なる視点から意見を延べる、という感じ。
言われた方も、なるほど、そういう見方もあるのか、と思う。
批判によって、話す内容がレベルアップしていく。
その区別がつかないと、議論のスキルが上がらない。

民主主義を守っていくためには、議論のスキルを上げなければいけない。
物事を理解し、より良い方向に持っていくのが議論の役割だと思う。
それを学ぶのが、高等教育の役割でもあるはず。

今のワイドショーなどは、コメンテーターがたくさん出てくるが、ちゃんと取り上げられていることについて、話すだけの基礎知識があるのだろうか。
こないだ、今回の台風のことで、いつもと逆方向から進んでいるので、高波が発生するというようなことを言っていたが、理由が全くわからない。

専門家の意見と言っていたが、最近はいろんな専門家がいるからなあ。
マスコミのレベルも下がったと思う。
誰かが責任を持ってくれるのなら、放送してしまえという感じだ。

話がそれたが、議論のスキルが下がって、ゼミが成り立たないというのは、あまり良い状態とは思えない。

第一歩としては、批判と非難を区別し、意見を言うことを恐れないことだろう。

それができるいい先生は少ないと思う。


| | 考えたこと | 02:46 | comments(0) | trackbacks(0) |